内容説明
預言者・石牟礼道子が最晩年の2年間に遺したことば、凝縮された想い。「私は色のない虹を見て歩いてきたように思います。…私が書いてきた作品世界そのものであります」俳句とその自句自解、そして水彩画と鉛筆画が静かに語りかける。
目次
1 色のない虹―二十一句と自句自解(二〇一六年四月~二〇一八年二月)
2 創作ノートより―三十一句(一九六七年三月~二〇一六年)
著者等紹介
石牟礼道子[イシムレミチコ]
1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。2001年、朝日賞受賞。2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2018年2月、死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かふ
22
晩年に月一で読んだ俳句と絵。すでにパーキンソン病を患い真っ直ぐな線は引けずにブレた絵だが「悶え神」の異名の感じさせる絵なのかもしれない。俳句も人に勧められてものだが本人は俳句ではないと言っていたとか。祈りの感情なんだと思う。「おもかげや泣きなが原は色うすき虹」からの表題だという。「泣きなが原」は地名であり最初に吟行した折りに俳句を作ってみては勧められた土地である。「なきなが原 鬼女ひとりいて虫の声」。最初の頃に作られた俳句は「祈るべき天とおもえど天の病む」水俣病に相対しての俳句。2023/10/10
エピファネイア
3
俳句に造詣はないけれど、石牟礼道子さんの生き方、考え方に触れたくてこの本を手に取った。 地球、大自然のちっぽけな存在でしかない人間が、恐れ多くも自然を破壊する。自然の海をコンクリートで埋め立てる、人工の毒物を海に垂れ流す。それらに対する憤りが石牟礼さんを水俣病との闘いに駆り立てたのだと思う。「長寿を褒められるのはもう飽き飽きしています。でも一生懸命生きてきました。何事も一生懸命だったと思います」。自信をもってこのように言える生き方を心がけたいと思う。2021/01/31