歴史新書y
信長が見た戦国京都―城塞に囲まれた異貌の都

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  • サイズ 新書判/ページ数 222p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784862485922
  • NDC分類 216.2
  • Cコード C0221

内容説明

若き日の信長が見た京都は、自衛・自治する町人の要塞だった!信長初上洛から本能寺の変まで、激動の歴史に迫る。

目次

はじめに 「異形」の者たちの上洛
第1章 若き信長と城塞都市京都
第2章 自衛・自治する町と町人
第3章 林立する日蓮宗寺院と信長
第4章 信長と京都の深い溝
終章 信長、京都に死す

著者等紹介

河内将芳[カワウチマサヨシ]
1963年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。日本中世史専攻。中世後期の都市社会史を中心に研究を進めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

六点

92
中世とは、万人が万人に対して闘争しているのか?と、思わせるくらい「すべての人々が武装する社会」であり、武士もそれ相応に暴力的であった時代である。京に於いても町衆や公家も武装していた時代である。織田信長とその手勢も「舐められたら殺す」人々であった。町衆もそれなりに自らの安全保障を求めていた。往々にして裏切られることが多かったのである姿が描かれている。この本に於いては「最後の中世的天下人」である右大将信長の姿が多く、堺屋太一的織田信長の姿は消え去っている。書肆廃業後、再刊されたのは重畳と言うべきか。2022/07/27

maito/まいと

24
桶狭間前年、信長が訪れた京都は戦火で規模を縮小した、衰亡の都だった。少ない史料と京都の道名・街名などから、応仁の乱後の京都の実態を明らかにした1冊。内裏のすぐ側まで麦畑だったとか、町同士の対立、自衛と自治、進まない復興と信長との対立など、見えてくる歴史の側面が満載。天皇や公家が困窮していたことは知られているところだが、それを取り巻く町はもっといびつで複雑だったようだ。こう見ていくと足利義昭反乱と、それによる京都焼き討ちが言葉以上に京都町民の反感を買っていたことが察せられる(民は内裏に避難していたらしい!)2020/04/25

春風

20
信長公在世の頃の、主に洛中の京都の様子が低次の視座から論述されている。「上京・下京は隔たっており、両者を貫くのは室町通り一本であった」「碁盤目状の街区には、街路沿いにしか街屋がなかった」「通りを挟んだ両側の町並みをひとつの単位として“町”と呼んだ」等々、支配者側の視座からだとなかなか記述されない洛中の様子が見て取れた。信長公は生涯を通して、京都とは物理的に距離を置きリモート操作を行っていたにも拘わらず、晩年突如として本能寺を御座所と定め、洛中での防備が疎かになった事は興味を呼ぶ謎でもある。2019/12/31

mitei

13
応仁の乱で如何に京都が廃れていたのかがわかった。おそらく京都の人はそこからよそ者に警戒をする文化が生まれたのかなと考察。2010/12/28

スプリント

10
信長上洛時代の京都の風景は現在の京都と大きく違っていたことが理解できます。2017/12/16

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