自己再生―36歳オールドルーキー、ゼロからの挑戦

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  • サイズ B6判/ページ数 237p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784835616629
  • NDC分類 783.7
  • Cコード C0075

内容説明

引退しかけた男の再就職先は西海岸のマイナーリーグ。年収は二億五千万ダウン、愛する家族と離れての単身赴任、言葉の通じぬ職場、貧しい設備、同僚たちの冷ややかな視線、評価は実績無視の新人扱い。それが、彼の選んだ道だった…。成功は危険な決断から生まれる。LAドジャース斎藤隆初の自伝。

目次

第1章 捨てきれない夢のために―メジャーへの憧れ
第2章 36歳、困難な挑戦が始まった…―土壇場で、ドジャース
第3章 自己をアピールするということ―カラオケが運命を変えた!?
第4章 降格…支えてくれた家族―マイナー転落、そしてメジャーへの道…
第5章 ウェルカム・トゥ・ビッグ・リーグ―夢の舞台、そして真の挑戦
第6章 僕が再生できたのは…―気持ちの充実と環境の素晴らしさと
第7章 信頼を勝ち得るということ―監督と選手の関係とは
第8章 メンタル・タフネスを学ぶ―シリアスな姿勢ばかりでは、何も生まれない
第9章 忘れられない日―何があっても、前向きに生きていこう
第10章 自分が過ごした最高の日々―再生までに必要だったもの
斎藤隆のCHALLENGE BLOG

著者等紹介

斎藤隆[サイトウタカシ]
メジャーリーガー。1970年2月14日、宮城県出身。1991年、東北福祉大学からドラフト1位で大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)へ入団。2年目の1993年には8勝を挙げ、ローテーションの一角を担うピッチャーとなる。1997年には故障で一年間離脱したものの、翌1998年には13勝をマークし、見事復活を果たす。同年の横浜ベイスターズ日本一に大きく貢献するとともに、カムバック賞も受賞。2001年から2年間は、抑えとして活躍。2003年、2年ぶりに先発復帰したが故障が響き、以降数年間は満足な成績が残せぬまま、2005年オフ、横浜ベイスターズを退団。36歳を迎えた2006年、かねてからの夢であったメジャーリーグへの挑戦を決意し、ロサンジェルス・ドジャースに入団。シーズン開幕当初はマイナーからのスタートだったが、4月7日のフィラディルフィア・フィリーズ戦よりメジャーに昇格。6月からクローザーを任されると、ドジャース球団新人記録となる24セーブを挙げる大活躍をし、チームのプレイオフ進出に大いに貢献した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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K

2
メジャーに行って才能開花って言ったらまずこの人だよな。来年はMLBに注目しよう2017/12/11

てつてつ

2
今ドキメントに関しては野球に目がいかないのですが・・斉藤氏の大リーグ挑戦のブログ風自伝 怪我で思わしく活躍できなかったシーズン後にアメリカに渡り認められた課程を自分の言葉で書いていって スーッと読めてしまいました。アメリカの生活文化が垣間見れて留学を考えている学生(特に野球少年)には面白いと思いました、周囲の大リーガーへのリスペクト具合は半端ではないことを本人も書いているけど 3Aの生活にも興味深いと感じました。別件ですが、桑田真澄選手の自書も読んでみたくなりました。2013/11/25

尿酸値高杉晋作

1
野球人が皆メジャーリーグを目指すのも分かるような... 幻想なのかも知れないけど、夢があるもんな。 興味深く読みつつも、日本プロ野球の将来を案じてしまった。2009/09/14

文章で飯を食う

1
思ったよりも、情熱の人なんだなー。2011/01/16

Humbaba

1
横浜での最後の数年は,思うように働くことができなかった.自分は何をするために野球をやっているのか.妻子の生活を守ることも大切だが,それだけが理由ではない.野球をやることが面白いと言うことを実感しながらやる野球は,本当に素晴らしいものである.2010/05/16

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