メンタルヘルス・ライブラリー<br> メディアと精神科医―見識ある発言と冷静な受容のために

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メンタルヘルス・ライブラリー
メディアと精神科医―見識ある発言と冷静な受容のために

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  • サイズ A5判/ページ数 179p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784826504225
  • NDC分類 361.45
  • Cコード C3047

出版社内容情報

犯罪・社会問題の報道に「精神科医」の言葉が大きな位置を占める社会において、どういう仕組みで、何が伝達され、そして何が失われてきたのか。
コミュニケーションの歴史的・社会的変容を追跡しつつ、精神医療従事者の発信する情報と、人々によるその受容の回路成立の可能性を探る。

はしがき 精神科医の日常的営みと社会的役割――メディアの向こう側へ何を発信すべきなのか 阿保順子
【座談会1】メディアという窓を通して見える精神科医の虚と実 宮台真司・高岡 健・佐藤陽二[司会]阿保順子
精神科医からみたマスメディア――私のスタンス 滝川一廣
メディアの病理と精神科医の倫理 佐藤陽二
精神科医として発信すること 和田秀樹
メディアと精神科医――精神科医の日常性と社会的役割について 黒川洋治
【座談会2】メディアとアートと天皇制 彦坂尚嘉・宮台真司[司会]高岡 健
あとがきにかえて――新聞報道と私たち 高岡 健

 2005年、日常を深く潜行していた効率社会のアウトプットが噴き出してきた。JR尼崎の脱線事故は、私たちの日常生活の地下にあるプレートの絶対運動を連想させる。社会の機能不全が生活を崩壊させ始めている。
 以下のはしがきは、2001年11月の『精神医療』誌の特集を組んだ時のものである。あれからおよそ5年を経過したいま、精神科医のメディアへの露出は少なくなっている印象を受ける。池田小学校殺傷事件によるPTSDが初めて賠償されるという。もはやPTSDという言葉は、専門家の解説をつけずとも人々の耳に馴染んでしまったということの証左かもしれない。メディアと精神科医は、どう受け止めているのだろうか。

 「メディアと精神科医」という今回の企画について話し合われていた頃、小泉内閣の支持率が一時91.6%になり、国会中継は連日テレビ放映され、日本の政治は字義どおりお祭りの最中にあった。その直後に池田小学校事件が起こった。そして同時多発テロとアメリカの報復。小泉内閣はいまやポストフェスティウム状態である。このような差し迫った時期にメディアと精神科医の双方を批判の俎上に載せることに対する疑義がないでもないだろうが、あえて取り上げることにした。批判罪報道である。
 今回取り上げるのは、犯罪報道を命とするメディアと、それに絡んで登場する精神科医の発言である。朝と昼のワイドショー、夕方から夜にかけてのニュース番組、そこでは、評論家をはじめとするその道の専門家たちがゲストとして登場し、コメントや解説を求められる。それに説得力をもたせるような形で、街角の人々へのインタビューが花を添える。さらにニュースキャスターが整理整頓し、人々へ向けてのメッセージを発信する。犯罪報道においては精神科医がコメンテーターとして積極的に起用されるようになった。精神科医に期待されていることは、事件を引き起こした人々の異常性を医師という権威をまとってアピールすることである。メディア側が狙うのは何よりも視聴率であり話題性である。事件の異常性を立体的に浮かび上がらせるような多くの装飾をほどこして、問題をセンセーショナルに仕立て上げていく。仕立て上げられ、 られた人々の不安に自ら答を出すといった構図のなかで、精神科医たちは踊らされているかに見えてしまう。時代の雰囲気を鋭敏に読み取ることを業とするメディアであれば、この構図が受けることは百も承知であろう。だから、メディアに登場する精神科医はもいるのだろうか。いまという時代に生きることの難しさも、本特集にあたって考慮されねばならないだろう。
 そんな空気のなかでメディアは、「受け手側のニーズ」という自分たちの作為によって人々を弄ぶか、逆に受け手の混乱や困惑に過剰に配慮する。たぶん、メディアは受け手の側をこの両極に置いて考えてしまう性癖があるのだろう。しかし、そうではない。そう考えること自体が不 なのだ。聞き分ける力、読み分ける力、見分ける力に対する信頼をこそ大切にすべきではないのか。それは同時にわれわれ医療者にも向けられるべき言葉であるかもしれない。いずれにせよ、メディアの問題は根が深い。したがって今回の企画では、メディアに焦点を当てるというよりは、そこに登場する精神科医たち、ひいては精神科医全体に焦点をあてる。そのために、まずはメディアが人々に発信していることは何であり、それが持つ現代的意味は何なのかについて考える。そして、精神科医らが社会から何を付託されようとしているのか、あるいは自らを何者と規定しようとしているのか、そこを社会との関連で捉えることによって精神科医の陥穽と果たすべき役割を考えるための一つの切り口にしたいと思う。

 今回の

●シリーズ『メンタルヘルス・ライブラリー』の12巻です。

*装丁 臼井新太郎
*装画 鈴木ちさ
*組版 字打屋

内容説明

犯罪・社会問題の報道に「精神科医」の言葉が大きな位置を占める社会において、いかなる仕組みで、何が伝達され、そして、何が失われてきたのか。コミュニケーションの歴史的・社会的変容を追いながら、精神医療従事者の発言と人々によるその受容の条件を考える。

目次

はしがき 精神科医の日常的営みと社会的役割―メディアの向こう側へ何を発信すべきなのか
座談会(1)メディアという窓を通して見える精神科医の虚と実
精神科医からみたマスメディア―私のスタンス
メディアの病理と精神科医の倫理
精神科医として発信すること
メディアと精神科医―精神科医の日常性と社会的役割について
座談会(2)メディアとアートと天皇制
あとがきにかえて 新聞報道と私たち

著者等紹介

阿保順子[アボジュンコ]
1949年生まれ。弘前大学大学院人文科学研究科修士課程修了(文学)。北海道医療大学看護福祉学部教授

高岡健[タカオカケン]
1953年生まれ。岐阜大学医学部卒業。岐阜赤十字病院精神科部長などを経て、岐阜大学医学部精神病理学助教授。日本児童青年精神医学会理事
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。