追悼 島成郎―地域精神医療の深淵へ

追悼 島成郎―地域精神医療の深淵へ

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  • サイズ B5判/ページ数 215p/高さ 26cm
  • 商品コード 9784826503358
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C3047

出版社内容情報

精神医療改革運動に心身を燃焼し尽くし、静謐のうちに彼岸へと去っていった島成郎の追悼特集号。追悼論文の他に島の講演記録などの遺稿や、生前の貴重な写真を掲載した「メモリアル・島成郎」などで構成。島博子による年譜も併載。

序説 広田伊蘇夫

●追悼 島成郎
私の島成郎経験 知念襄二
島さん 東大精神神経医学教室入局から国立武蔵療養所を経て、沖縄へ発つまでの6年間 中川善資
島先生、ありがとうございました。 新里厚子
島先生を偲ぶ 中山勲
島先生と植苗病院グループ 望月紘
島先生の伝言 仲宗根正
島さんへの鎮魂歌 森山公夫
先達であった島成郎さんをおくる 藤澤敏雄

●「心の輪を広げる集い」記念誌から
“心の輪を広げる集い”記念誌発刊のことば 小渡有明
「心の輪を広げる集い」記念誌に寄せて 島成郎
“心の輪を広げる集い”記念誌に寄せて 私の体験を通して 新里厚子

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●島成郎遺稿
追悼 久良木幹雄さんへ
精神衛生法「改正」に思う
北海道・植苗病院での講演
地域精神医療と作業所の役割 
これからの精神保健福祉活動
連続講座 第1回「これまで」
第2回「いま」
第3回「これから」

島成郎年譜 監修・島博子

島は日本における戦後唯一の政治闘争、1960年反安保闘争の指導者だった。論理を超え、自からの行動をもって、亡びゆかんとする人間的情念を呼び起こす魔性こそ、島成郎の本質だった。「腰を据えて、精神病者をみつめ、共に生きることにする」との島の言葉を、私は今も忘れることができきない。以来、彼は与えられた生涯のすべてを精神医療の変革に心身を燃やしつづけ、静謐のうちに彼岸へと去っていった。(「序説」より)

雑誌『精神医療』誌、初の別冊総特集。ページ数も通常号の約2倍、B5判でカバー装という体裁です。

目次

追悼 島成郎(私の島成郎経験;島さん―東大精神神経医学教室入局から国立武蔵療養所を経て、沖縄へ発つまでの6年間;島先生、ありがとうございました。 ほか)
「心の輪を広げる集い」記念誌から(“心の輪を広げる集い”記念誌発刊のことば;「心の輪を広げる集い」記念誌に寄せて;“心の輪を広げる集い”記念誌に寄せて―私の体験を通して ほか)
島成郎遺稿(追悼―久良木幹雄さんへ;精神衛生法「改正」に思う;北海道・植苗病院での講演 ほか)

著者等紹介

藤沢敏雄[フジサワトシオ]
1934年新潟県に生まれる。1961年新潟大学医学部を卒業。1962年東京大学医学部精神科教室に入局。1966年東京都立松沢病院に勤務。1967年国立武蔵療養所に勤務。1968年東京都地域精神医療業務研究会が発足し、代表として現在も活動する。1981年2月国立武蔵療養所を退職し、一陽会陽和病院院長となり、同時に柏木診療所を設立。1985年2月立川市に、にしの木クリニック設立。1985年10月陽和病院院長を辞し、柏木診療所、にしの木クリニックに勤務。現在、医療法人社団東迅会理事長、にしの木クリニック所長、東京精神医療人権センター代表、「精神医療」編集委員会代表

中川善資[ナカガワヨシスケ]
1935年台湾台北市に生まれる。1962年熊本大学医学部卒業。1963年東京大学医学部精神神経学教室に入局。1966年国立武蔵療養所に勤務。1983年国立療養所全生園に勤務(副院長)。1991年全生園を退職。医療法人赤城会三枚橋病院に勤務。1994年国分寺市に中川クリニックを開業し、現在に至る
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