フィリピンバナナのその後―多国籍企業の操業現場と多国籍企業の規制 (改訂版)

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  • サイズ B6判/ページ数 380p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784822806347
  • NDC分類 625.81
  • Cコード C0036

出版社内容情報

鶴見良行氏が名著『バナナと日本人』を出版してから20余年。その後、フィリピンバナナはどうなったか…。本書は多国籍企業の反公共的行為が過去のものではないことを示す。補章「バナナ労働者と日本を結ぶもう一つの商品――青物缶詰」を加え、改訂版として刊行。

改訂に寄せて

はじめに

第1部 多国籍企業の操業現場
I マルコス政権下のバナナプランテーション
序 章 フィリピンの輸出用バナナ産業に進出した四つの多国籍企業
第1章 農薬使用状況
1 DFC農園
2 スタンフィルコ農園
3 フィリピンの輸出用バナナ産業で使用が確認された農薬一覧
4 バナナの残留農薬
第2章 労働条件
1 集団労働協約――三農園の比較
2 労働実態
(1)DFCにおける一九八四年ストライキ
(2)タデコにおける一九八九年ボイコット運動
(3)ドール・フィルにおける一九八五年ストライキ
3 DFCにおける革新系労働組合の出現

II 包括的農地改革計画下のバナナプランテーション
第3章 包括的農地改革計画と輸出用バナナ産業
1 CARP誕生をめぐる状況
(1)アキノ政権の消極性
(2)地主勢力の抵抗
(3)CARPの抜け穴
2 輸出用バナナ産業における農地確保の形態と、CARLの適用条項
3 バナナ業界の対応
第4章 多国籍企業の新展開――契約栽培
1 ドール系農園での争議
(1)ドール系バナナ園での農地改革の開始
(2)CARPの問題点
(3)反ドール・キャンペーン
(4)ドール社のNFL攻撃
(5)今後の課題
2 契約栽培の事例と問題点
(1)ドールの契約農家
(2)ソヤパ農園
(3)チボリ・アグロ・インダストリアル・ディベロプメント社による
   パイナップルの契約栽培
3 契約栽培普及の背景
(1)高価値作物開発法
(2)農地改革省省令一九九八年第九号
第5章 一九九○年代の農薬使用状況
1 一九九○年代の農薬残留状況
2 生産現場で確認された使用農薬と被害の状況
(1)一九九〇年代にフィリピンのバナナプランテーションで使用が確認された農薬
(2)一九九〇年代にフィリピンのバナナ生産地で生じた農薬被害
3 一九九○年代のバナナの消費動向
第6章 多国籍企業からの自立に向けて歩み出した、もとバナナ労働者
1 FOB契約への切り替え
2 FEDCOとMOVEの結成
3 農地改革受益者協同組合の支援組織FARMCOOP

第2部 多国籍企業の規制
III 多国籍企業の規制が強化された一九八○年代
第7章 有害製品の国際的規制による、多国籍企業の規制
1 国連決議37/137
2 国連環境計画(UNEP)の暫定的通知計画
3 経済協力開発機構(OECD)の輸出事前通告制度
4 欧州共同体(EC)の動向
5 世界銀行の出資するプロジェクトにおける農薬の選択と使用、
   および調達に関するガイドライン
6 国連消費者保護ガイドライン
7 国連食糧農業機関(FAO)の、農薬の流通および使用に関する国際行動規準
8 先進工業諸国における有害製品の貿易規制
9 国際消費者機構(IOCU)
第8章 多国籍企業の環境破壊に対する規制
1 持続的発展型企業経営のための基準
(1)基準作成の経緯
(2)「持続的発展型企業経営のための基準」――その内容と意義
(3)基準の活用状況
2 アジェンダ21
(1)アジェンダ21の企業関連部分
(2)多国籍企業センター作成のUNCED向け勧告との比較
第9章 国連多国籍企業行動規準の策定
1 規準作成の経緯
2 最終草案の概要と意義
3 日本と米国の反対

IV グローバリゼーションと多国籍企業の規制
第10章 国連の機構改編と多国籍企業に対する規制の後退
1 廃案となった国連多国籍企業行動規準
2 規準に代わるガイドラインの提案
3 国連の機構改編と多国籍企業センターの閉鎖
4 国連環境開発会議と多国籍企業
5 ガット・ウルグアイ・ラウンドと多国籍企業
6 ウルグアイ・ラウンドからWTOへ
7 国連諸会議での自由化推進
8 IOCUの方針転換
第11章 多国籍企業の規制に向けての新たな動き
1 一九八○年代から九○年代にかけての規制状況の変化
2 一九九○年代における規制要求
3 一九九○年代に策定されたいくつかの規準
4 二○○○年における新たな動き
(1)OECD多国籍企業ガイドラインの改訂・強化
(2)国連社会開発調査研究所の報告「見える手―社会開発に対して責任をとる」

補 章 バナナ労働者と日本を結ぶもう一つの商品――青物缶詰
1 日本の輸出向け鯖・鰯缶詰生産
(1)境港市の水産缶詰業の歴史
(2)生産の現場と流通経路
(3)輸出状況
2 日本の魚缶詰輸出とフィリピンの水産缶詰業
3 日本の水産缶詰業における青物缶詰の位置

おわりに



はじめに

 本書は、多国籍企業が経営するバナナプランテーションで、劣悪な労働条件の下に苦難をしいられてきたフィリピンの農業労働者が、人間の尊厳と生活の向上を目指して数十年にわたる闘争の末、ついに多国籍企業からの自立に向けての第一歩を踏み出すまでの経緯を記したものである。そしてまた、多国籍企業の規制に取り組んできた国際消費者運動の記録でもある。
 筆者は二〇余年にわたって国際消費者運動にかかわってきた。その間、一方で多国籍企業の操業現場の一つであるフィリピンのバナナプランテーションの実態調査を行い、他方で多国籍企業が引き起こす諸問題に対処するための、多国籍企業規制のあり方を探る活動に加わってきた。そのため、右に紹介したような経緯をつぶさに見てきたのである。
 日本人の食べるバナナのほとんどは、フィリピン産である。多国籍企業により結びつけられたフィリピンのバナナプランテーション労働者と日本の消費者。その関係を日本に初めて紹介したのは、「人を喰うバナナ」という衝撃的なタイトルをもつスライドであった。これはアジア太平洋資料センターという市民団体が、一九八〇年六月に完成させたものであるが、そのスライドに映し出されたものは、私たち日本人が口にするバナナは、米作に従事していた小作農を強制的に立ち退かせて開設したプランテーションで、食うや食わずの低賃金、浴びるほどの農薬、しかも防具支給なし、労働運動への弾圧といったさまざまな過酷な条件の下でフィリピン労働者が作ったものであり、しかもプランテーションを経営しているのは、米国や日本から進出した多国籍企業であるという、日本人がそれまで知らなかった現実であった。
 このスライドが完成して間もない一九八〇年一一月、制作団体のアジア太平洋資料センターや日本消費者連盟など九団体から成るフィリピン問題連絡会議の招きで、フィリピンのミンダナオ島から一人のバナナ労働者が来日した。ドドン・サントスという偽名で来日したそのバナナ労働者は日本各地を回ってフィリピンバナナの現実を訴えた。「農薬まみれのバナナは食べるな、ということでしょうか」という聴衆からの質問に対して、サントス氏はこう答えた。「私はあなた方にバナナの話をしましたが、言いたかったことは人間についてです。バナナ労働者が多国籍企業の下で苦難を強いられ抑圧を受けている、そのバナナはあなた方日本に住む人びとのために作られていること、すなわち私たちバナナ労働者とあなた方との関係を明らかにしたかったのです。その上で、私は、この現実についてあなた方は何をするのかと訊ねたいのです。私は、バナナ労働者の現状が悲惨だからといって同情を乞いに日本へやってきたのではありません」。
 日本の私達がやるべきことは、フィリピンのバナナ労働者のために何ができるかを考えることではなく、バナナを通して自分の国、日本をどうするかを考えることだ、というサントス氏の言葉は、重い課題を日本人につきつけたのであった。そして、消費者運動という側面から見れば、サントス氏のこの言葉は日本の消費者に対して「国際的視野」と「消費者責任」を迫るものであった。
 その後間もなく、スライド「人を喰うバナナ」制作の中心人物であった鶴見良行氏が『バナナと日本人――フィリピン農園と食卓のあいだ』(一九八二年 岩波新書)を出版した。鶴見氏のこの著書は、フィリピン大学の研究者グループとともに一九七八年から八〇年にかけて行った調査に基づいてまとめられたものである。鶴見氏は同書の中で、フィリピンの輸出用バナナ産業で生じている問題を包括的に紹介した。劣悪な労働条件、労働者の農薬禍、労働運動に対する弾圧、農薬等による環境汚染、企業の所得隠しのための価格移転、技術移転の実態、などである。
 一九八八年、筆者は共著で『バナナから人権へ――フィリピンバナナをめぐる市民運動』(同文舘)を出版した。同書は鶴見氏が紹介したさまざまな問題のうち、特に農薬問題に焦点を絞り、一九八〇年代半ばの多国籍企業の操業現場の実態を報告すると同時に、バナナプランテーションで使用されていた農薬のうち、世界保健機関(WHO)が「極度に危険」に分類した農薬の使用停止を求める運動の一環として出版されたのである。農薬はバナナを生産するフィリピンの労働者の健康を脅かすと同時に、バナナの皮や果肉に残留して食べる側の健康をも蝕む。したがって、生産国と消費国の国民が共同して取り組むことのできる問題であり、バナナを作る側と食べる側が新しい関係を切り拓くきっかけとなりうるものであった。
 フィリピンバナナ問題に関心を寄せた者は、ほかにもいた。高校で現代社会を教えていた大津和子氏も、鶴見氏の研究に触発されて、一九八七年に『授業作りハンドブック㈫ 社会科=一本のバナナから』(国土社)を出版している。このようにして、日本の中で国際理解や消費者問題に関心を寄せる人々の間で、フィリピンバナナの問題は注目されるようになっていった。
 だが今日、フィリピンバナナに対する日本人の関心は大幅に薄らいだと言わざるを得ない。一九八六年の政変(いわゆる「人民の力革命」)でマルコス独裁政権が倒されて以来、日本でフィリピンがニュースにのぼることは少なくなった。また日本の市場に有機バナナがかなり出回るようになったことも、関心が遠のいた原因の一つであろう。しかし、フィリピンでは今日に至るまで依然として多国籍企業は輸出用バナナ産業にかかわっているし、一九八八年に成立した包括的農地改革計画(CARP)の下でのバナナプランテーションの接収・分配に対応する新たな経営戦略を展開している。フィリピンバナナ問題は決して過去のものではない。私達日本の消費者が忘れてよいものではないのである。しかし、今回筆者に本書をまとめさせた最大の動機は、バナナプランテーションに出現したかすかな「希望の光」である。フィリピンバナナ問題の解決の糸口が見えてきた、ということである。つまり、少数ではあるが、多国籍企業からの自立に向けて歩み出したもとバナナ労働者が出現したのである。農地改革の下、土地の分配を受けて地主兼農園経営者となったもと労働者の一部は、日本のオルタ・トレードという公正貿易(フェア・トレード)を実践する会社の協力を得て、有機バナナの生産にいどむなど、多国籍企業に依存しない独自の事業を開拓しつつある。すでに紹介したように、一九八〇年にマルコス独裁政権の追手から身を隠しつつ、日本の消費者に対してフィリピンのバナナ労働者の苦境を訴えるためにドドン・サントスという偽名で来日したコロナド・アプゼン弁護士は、もとバナナ労働者を技術的、法的に支援する組織の代表として、今やバナナの売り込みのため、千葉県幕張メッセで毎年開催される食品商談会FOODEXに、二〇〇二年と二〇〇三年の二回にわたって出店を果たしたのである。二〇〇三年三月のFOODEXにおいて、筆者はドドン・サントス氏に取材する機会を得た。その際、同氏が労働運動家としての自身の人生を振り返りつつ、「今は有機栽培技術の開発や、バナナの販路の開拓など、色々な仕事をやっている。トータルな人間として生きることは、とても楽しい」と語ったことが印象に残っている。ここに至るまでの長い道のりを、筆者は本書にまとめたかったのである。
 さて、筆者は、フィリピンの輸出用バナナ産業における多国籍企業の操業現場をモニターするに際して、農薬の使用状況とともに、プランテーション労働者の労働条件にも特に注目した。生産現場での労働条件の問題は、一見消費者と無関係な問題に見えようが、今日では「エシカル・コンシューマー」という概念が認知されつつあり、人権侵害など倫理にそむく行為を伴って生産されたものは買わない、ということが消費者の責任として求められるようになってきている。同様に農薬の問題も単に消費者の安全という観点からだけでなく、消費者の環境責任、つまり「エコ・コンシューマー」あるいは「グリーン・コンシューマー」という観点から問題にされる時代になった。環境に負荷をかける製品は買わない、ということである。
 他方、多国籍企業の規制についても、この二〇年余りの間に状況が何度も変化した。一九八〇年代には国際消費者運動の盛り上がりもあって、個別製品分野、例えば農薬の生産・流通あるいは使用の規制という形で多国籍企業の活動を規制する動きが活発であった。しかし一九九〇年代には国連やガットという国際政治の舞台で多国籍企業が反撃に出たため、これを規制しようとする動きは失速したが、二一世紀に入り、多国籍企業が推進してきたグローバリゼーションのひずみが次第に明らかになるにつれ、多国籍企業に対する規制を求める声が再び強まっている。こうした規制状況の変化を本書にまとめるにあたり、各々の規制の一般的解説ではなく、それらがフィリピンの輸出用バナナ産業に進出している多国籍企業にどう具体的にかかわるか、という点に留意した。そして最も大切な点として、多国籍企業の規制に取り組むにあたり、今後何が課題となるかを、フィリピンバナナの例を通して明らかにするよう努めた。

内容説明

鶴見良行氏が『バナナと日本人』を出版してから20余年。その後、フィリピンバナナはどうなったか…。

目次

第1部 多国籍企業の操業現場(マルコス政権下のバナナプランテーション;包括的農地改革計画下のバナナプランテーション)
第2部 多国籍企業の規制(多国籍企業の規制が強化された一九八〇年代;グローバリゼーションと多国籍企業の規制)
バナナ労働者と日本と結ぶもう一つの商品―青物缶詰

著者等紹介

中村洋子[ナカムラヨウコ]
1947年静岡県生まれ。現在、愛知県立芸術大学教養教育教官。日本消費者連盟を通じて、過去20年間、国際消費者運動にたずさわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Akihiro Nishio

23
フィリピンでフィリピン本を読む。2冊目。かつて「バナナの逆襲!」(続編も)という映画を見たが、まさにその内容である。書籍なだけあり、かなり詳細に踏み込めており、日本企業や政府についても言及されている。おそらく博士論文を書籍化する研究費が付いて、手持ちの原稿をつなげたのだろう。後半は国際貿易の政治的駆け引きの話に転じ、補講では日本の鯖鰯缶詰の輸出となる。2006年初版にしては、内容の殆どが70年代80年代の話で国際貿易に関する章でも98年で止まっている。書籍化する時に少し手を入れても良かったんじゃないか。2018/08/08

寝子

1
倫理観に乏しい巨大多国籍企業と外貨が欲しいフィリピン政府及び政府と癒着した資本家層が禁止農薬の使用や違法な労働環境を放置した、ということのよう。組合活動や国際的なルール整備の進行で良くなってはいるみたい。最近でも住友商事系のバナナ農園従事者が正規雇用を求めてマニラまで来てたというニュースがあったけど、今の実情はどうなっているんだろう?2018/12/24

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