内容説明
公と私のあわいに浮かびあがる「感覚」という問題系をとらえ、文学・映画・写真・音楽・歌謡・舞踊など様々な芸術ジャンルを近代日本の文化的=政治的文脈に再配置しつつ横断的に読み解く、新たな批評の実践。
目次
第1部 感覚の近代(猫の観相学―KNOW THYSELF?;観察者の空虚―『彼岸過迄』;十二階の風景;郷愁の視覚―萩原朔太郎と写真;山とシネマと―「故郷を失った文学」とスクリーンの中の異界 ほか)
第2部 歌う身体(近代の詩と歌謡と―その危険な関係;「国民の声」としての民謡;声と日本近代―唱歌・童謡の美的イデオロギー;戦時下を踊る身体―唱歌遊戯から『国民舞踊』まで;少女という場所―踊る少女/歌う少女/書く少女 ほか)
著者等紹介
坪井秀人[ツボイヒデト]
1959年名古屋市に生まれる。1987年名古屋大学大学院文学研究科博士課程満期退学。金沢美術工芸大学助教授等を経て、名古屋大学大学院文学研究科教授、文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あなた
7
あまりにぶあついんでさすがに疲れた。でも坪井さんってなんか研究スタイル独特だよね。「坪井さん独自」っていうか、高橋世織みたいなところがある。カルスタとくくるわけにもいかないところあるし。ユニークな研究だよなあ。とくに漱石の『吾輩は猫である』を当時の観相学と権力の観点から読み解いていくのなんて、すごくおもしろいんですね。でも、もうちょっとつっこんで知りたいってところもあるんだけれども、けっきょくみんな『猫』を哀しい観察者の方向にもっていくんだね。前田愛の系譜っていうかね 2010/09/13
t( 7, 10 )
2
サウンドスケイプ。それは普段意識されることのない豊かな生活音である。かつて、お寺の鐘、鶯の鳴き声、そして様々な物売りの声が公的情報でたり得た時代があった。ところが、現代においてはそられの"声"はなりを潜め、外からやってくる音というのは自身のプライベート空間に対する侵入者として排除されつつある。聞こえてくるのはスピーカーでがなりたてる政治活動などの生活との調和を隔てられた招かれざる音ばかり。2017/03/22