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出版社内容情報
1979年、埼玉県上福岡で、いじめを苦にした中学一年の少年が空を飛んだ。そこに、現在に至る現実がすべて露呈している。現在もなお、なぜ、つぎつぎと事件は起こり、子どもたちは死へ疾走してゆくのか?
年表 この子たちの名を呼べ-自殺・十九歳まで…一九七九年六月十八日→八一年九月
投身 見過ごされた生命のシグナル 埼玉県上福岡市
「学校がいやになりました」
「自分たちで調査するしかない」
いま思うと…いま思うと…
もう、困っちゃうんですよ…
こういう書き方しかできなかった
「先生なに考えているのかわからない」
水面下の教育の闇を見つめる!
林賢一君
一九七九年九月九日、十二歳、中学一年、自殺。東京のベッドタウン。
新調の空手着を身につけ、マンションの十階からとびおりる。
新聞は「学校でいじめられるのを苦にして」と報じた。
同年六月の賢一君自殺未遂事件をたんなる家出事故をとらえていた学校側は、最初、死の原因を「性格上の問題」と報告する。しかし、両親の自主調査により陰湿ないじめ、差別、集団暴力があったことがわかってきた……
追記-「1」
縊死 校内で起こった連続恐喝 大阪府高石市
中尾隆彦君
一九八〇年九月十六日、十二歳、中学一年、自殺。重化学コンビナート都市。
登校をぐずりながらも家を出た隆彦君は、一時間後、首をつった姿で発見される「非行の息子を道連れ」とある。
前年九月、怠学と喫煙を理由に“自宅謹慎”という指導処置をうけた厚君は、十一月から休学していた。
復学を切望する母子に、学校からは「見通しは暗い」という連絡がはいる……
いまは亡き少年たちに身をおく あとがきにかえて