出版社内容情報
氷河期から現代まで、中部ヨーロッパにおける人間社会と森林との関わりの歴史を、壮大なスケールで描く。高尚な思想や政治・経済だけでなく、傲慢な貴族やワイロ好きの役人、庶民の暮らしが織りなす生き生きとしたドラマとして語った名著、待望の邦訳。
【書評再録】
●読売新聞評(1996年8月25日)=ドイツ林学の大家が書き、林野行政の専門家が訳した本だ。森の歴史の教科書と呼んでいいだろう。
●信濃毎日新聞評(1996年9月15日)=専門家だけでなく森に関心をもっている人たちにも読みやすい書になっている。
●林業技術評(1996年10月号)=マルク共同体林の開墾を巡る世俗や聖界の領主と農民との争い、ミズナラのドングリを食い荒らした犯人を捜しに血道を上げた魔女裁判、結婚式に割り当てられる薪の量を定めたヴァイステューマー(森の掟)等、必死に生きた人たちの話は豊富です。また、森の学者たちの話もあります。本書を繙いた人はおそらく、こうした話に引き付けられながら、一気に終わりまで読破してしまうことでしょう。
【内容紹介】本書「訳者まえがき」より
美しい豊かな森と心安らぐ人々の営みは、たとえばあのメルヘンで有名なグリムの生きた時代に見られたのでしょうか、あるいは、マルティン・ルターが宗教改革のともしびを高く上げたとき、それに照らされたのは豊かな森だったのでしょうか? しかし、現実はそうではありませんでした。ルターが見たのは荒れ果てた森だったのです。グリムの生きた時代は、ようやく森の再生への努力が本格化した時代で、しかも、それは童話に出てくるような広葉樹の森ではなかったでしょう。森と人間との間の平和な営みは、ごく最近のことなのです。私たちは、ともすればドイツを森の国だと思いがちです。しかし、実際はそうではありません。
この本は、ドイツを中心とする中部ヨーロッパを舞台に、森と人間が太古からさまざまなドラマを繰り返しながら現在の森の姿と人々の暮らしを築いてきたことを雄弁に物語ってくれます。著者カール・ハーゼルが描く森の目から見た人間社会の営みの歴史。それは、たんに高尚な思想の世界や政治、経済だけではなく、権力者の振る舞いや、庶民の暮らしぶり、傲慢な貴族や賄賂好きの下っ端役人などの織りなす生き生きとしたドラマです。そうした人間社会の営みがひるがえって森にどのような影響を与えたのか。また、人々は、いつ森の大切さに気づき、これを守り育てる気になったのでしょうか。あるいは、「持続可能な」という言葉が地球環境サミットなどを契機に最近流行っていますが、もともとその考えはいつ、どのように芽生えたのでしょうか。そして、その結果は?
地球環境問題、なかでも熱帯林などの急激な減少や酸性雨問題など森の問題が私たち地球上の生きとし生けるものの現在と将来の生存の鍵となっている今日、森の地球規模での消滅が懸念されている今日、森がたどってきた歴史、人々と森との歴史を知ることは、その解決の大きな手がかりを与えてくれます。なかでも、過去に森のほとんどすべてを失ったドイツ。森が語るドイツの歴史は、私たちに多くを教えます。
【内容紹介】本書「訳者あとがき」より
本書を翻訳して紹介しようとした理由は、一つには、世界の森の歴史を紹介する書物は最近出されているものもふくめいくつかあるが、わが国と比較的似た国情にあり、近代的な森林管理の発祥の地であるドイツをはじめとする中部ヨーロッパの森の歴史を紹介したものが不思議なことにないこと、さらに、本書の翻訳を通じてドイツの文化の一端を紹介し、訳者年来の願いである日独のさらなる交流の発展にささやかなりとも役に立てればと思ったからである。しかし、それだけではない。森に対する市民の思いがかつてなく高まっているなかで、その期待とは裏腹に市民あるいは森の関係者それぞれが何をすべきかについて必ずしも方向を見いだしていない、いわば森をめぐる状況が一種の閉塞状況にあるいまこの時期だからこそ、本書がわが国の幅広い読者諸氏にたいへん有益なものとなり、現状を打開するためのみんなで考える糸口を提供するに違いないと考えたからである。
世紀末の現在、世界的に見ても、わが国でも、政治や経済や社会のさまざまなところで既存のものの考え方やシステムがぐらつき、あるいは、崩壊し、21世紀へ向けて再構築が求められているように思う。その中心的な問題の一つは、いうまでもなく自然あるいは環境と人間との関わり合いの問題である。それは、有限な地球を知った人間の生きざまを問うものであり、国際関係のフレームや政治システムなどの問題よりもはるかに深く人間の存在そのものにかかわっているといえよう。森や林業の問題も、混迷と模索のなかにある。いや、森や林業は、ほかに先駆けてそうした状況に突入していたのである。
本書に描かれたドイツを中心とする中部ヨーロッパの森の歴史は、いいも悪いもさまざまな面で私たちに多くの先例を示し、また、森に対する私たちの考え方の検証と再構築にあたっての豊富な材料を与えてくれるのである。そして、両国は、もちろん多くの点で違うが、経済や社会の発展度合などそうとう似通ったところもあることから、本書の示すそうした材料はおおいに役立つものと考えるのである。
最近わが国では戦後の経済社会を規定した構造の一連の見直しのなかで、規制緩和が大きな問題となっている。確かに、活力ある社会をつくるためにも、自由な競争を阻む規制は撤廃されるべきであり、そうした動きは遅きに失したともいえよう。このようななかで、保安林など森の開発・転用の規制もその対象となっているようであるが、この問題をどのように考えるべきなのか。本書は、そうした時機にかなった問題についても考える材料を提供するのである。
また、国家の財政状態が国有林という所有形態や森そのものの運命を翻弄した歴史も、たいへん興味深く、示唆に富む。
【主要目次】
▲▲第1章・失われた森、よみがえる森
太古の時代と森/中石器時代の穀物だったヘーゼルナッツ/古代と森/中世の開墾期が始まる前のドイツの風景を明らかにする地名/神が善とみなした開墾/黒死病でよみがえった森/森の維持のためのはじめての努力/戦争と復興と森/自由主義の影響、市街地の拡大、そして森に戻る農地
▲▲第2章・さまざまに利用されてきた森
魔女狩りの原因にもなった豚の餌、ドングリ/秘密に満ちた森のガラス造り/どのように森から木を運搬したのか/木はいつから売られるようになったのか
▲▲第3章・森はどのように造られ、守られてきたのか
林業への道/森を助けたモミの木の種播き/人間の影響下で森に生える木々の構成はどのように変化してきたのか/森の破局/「森の死」酸性雨被害のルーツは?/永遠の森・持続性の思想
▲▲第4章・森はだれのものだったのか
王の森、帝国の森/君主の所有か、国家の所有か/諸国の領土の改編とともに消えた教会所有の森/19世紀前半の国有林の危機/資本主義の疾風を巡る激しい対立/大規模と中規模の私有林はどのようにして生まれたのか/農民の森/マルク共同体の森から市町村の所有する森へ/都市はどのように森を所有したのか/紛争と訴訟の尽きることのない泉
▲▲第5章・森の掟は移り変わる
森が自由に利用できた時代/結婚式に割り当てられる薪を定めたヴァイステューマー/五月祭りの木や共同のパン焼き窯も定めたフォルスト条例/規制と自由を巡る綱引き/森に関する帝国法はナチスの産物か
▲▲第6章・森を管理した人々や組織
カロリンガー王朝から中世末期までの森の管理組織/未亡人との結婚とひきかえに陛下の恩寵で下されたポスト/岩塩製造所や鉱山の森の管理/現金の給与以外に頼る役人たち/一般行政に組み入れられた森の管理や行政/森の管理や行政の発達の例/華麗なバロック時代の狩猟と貴族の影響/鹿と木に権限を持った狩猟監督官/森の管理や行政のなかの宮廷財政家たち/森の管理や行政の上級ポストに就いた軍の将校たち/プロイセンの野戦警備部隊/森の管理や行政が狩猟と別れた19世紀/森の官庁内部での19世紀における貴族特権を巡る闘い/好き勝手に首にできなくなった役人たち/役人の職務倫理の確立/19世紀以降の森の管理や行政の展開/帝国森林庁とナチス
▲▲第7章・森の研究者列伝
森の学問に先駆けたもの/18世紀に生まれた森の学問/森の学問の古典的大家たち
▲▲第8章・総合大学昇格に向けて
▲▲第9章・森の歴史の研究を志す人々のために
森の歴史とは何か/一般の歴史学と森の歴史の理論の関係/森の歴史の理論はなぜ必要か/森の歴史の研究と理論の現状/森の歴史の方法論の問題
内容説明
太古から現在まで、森と人間が繰り広げてきたドラマ。高尚な思想や政治・経済だけではなく、傲慢な貴族や賄賂好きの役人、庶民の暮らしぶりが織りなすドラマを、中部ヨーロッパを舞台に壮大なスケールで描く名著、待望の邦訳。
目次
第1章 失われた森、よみがえる森
第2章 さまざまに利用されてきた森
第3章 森はどのように造られ、守られてきたのか
第4章 森はだれのものだったのか
第5章 森の掟は移り変わり
第6章 森を管理した人々や組織
第7章 森の研究者列伝
第8章 総合大学昇格に向けて
第9章 森の歴史の研究を志す人々のために
終章 筆を置くにあたって想うこと
感想・レビュー
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