虚構の「近代」―科学人類学は警告する

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虚構の「近代」―科学人類学は警告する

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  • サイズ A5判/ページ数 324p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784794807595
  • NDC分類 401
  • Cコード C0036

出版社内容情報

本著は異彩を放つ近代論であり、近代社会に対する警告の著である。地球温暖化やオゾンホール、あるいはBSEなど、科学だけあるいは政治だけでは解決できないハイブリッド(混成物)がいまや巷に氾濫しているが、私たちはこれにうまく対処できていない。ところが対処できない理由を誰一人として知らない。著者は近代社会の特徴といわれる「自然と社会の分断」にそれを結びつける。現に、科学的事実と、社会や人間についての議論を混合してはならないというのが「近代の常識」とされている。《科学とは真実を発見する作業だから社会から離れて行わなければならないし、社会は個々人の意思を集合させることで作られるからモノの世界から自由なはずである。私たちはこの二つを混合する不分明な時代から進化してきた》。これが近代人に特徴的な自己認識である。
著者はこれを近代人の誤った自己認識であると断言する。近代人の自己認識と実践は乖離している。近代人が実際に行っているのは、むしろ自然と社会を結びつけてハイブリッドを生み出すこと、そしてその後でそれを純化し、存在論的に異なる二つの領域に分類整理することである。もし自然と社会を分断するような実践が近代人の特徴だというのなら、それは虚構であり、地上にはそのような近代人など一人もいないことになる。ではなぜ近代人は、実際の行動とは裏腹の誤った自己認識を持ち続けているのか。それは、科学の命題を「真実を発見する作業」として立てておけば科学の自律的発展を当然視でき、科学技術開発というものを社会のくびきから解き放つことができるからである。それがハイブリッドの異常増殖の原因である。
となれば現代の危機を脱するにはどうすればよいか。それは「近代」というものが実は自然と社会を混合することで成り立ってきたという事実を認識し、現代の危機の根源となっているハイブリッドの異常増殖を少しでも抑制していくことである。こうして著者は危機の処方箋を描くのであるが、この十分に説得的な著者の近代分析は目が覚めんばかりに先鋭的である。(かわむら・くみこ/武蔵工業大学)

目次

第1章 危機(ハイブリッドの増殖;ゴルディアスの結び目を再び結ぶ ほか)
第2章 憲法(近代の「憲法」;ボイルと対象としてのモノ ほか)
第3章 革命(自らの成功の犠牲になった近代人;準モノとは何か ほか)
第4章 相対主義(アシメトリーをいかに解消するか;拡大シメトリーの原則 ほか)
第5章 配分のやり直し(実現不可能な近代化;最後の吟味 ほか)

著者等紹介

ラトゥール,ブルーノ[ラトゥール,ブルーノ][Latour,Bruno]
1947年、フランスのボーヌ生まれ。哲学者としての経験を積んだのち、人類学者になる。1982年から2006年までパリ国立高等鉱業学校で教授職を務め、その後、パリ政治学院に移る。現在は同学院の「組織に関する社会学センター」の教授および副学長。またカリフォルニア大学UCSD、ロンドン大学LSE、ハーバード大学科学史学部の客員教授を務めるなど海外でも活躍している

川村久美子[カワムラクミコ]
上智大学卒業後、コーネル大学にて社会学修士号、東京都立大学にて心理学博士号を取得。現在、武蔵工業大学環境情報学部准教授。専門は環境社会学、科学社会学で、「環境科学技術と社会」が主な研究領域(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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hitotoseno

9
今世紀に至って進行の速度が高まっているように思われる地球温暖化の議論においては様々な見地からの意見が寄せられる。気候学はもちろんのこと、政治学、経済学、文明論、技術論、エコロジーなどなど……まさしく温暖化は地球全体で考えていかなければならないものであり、諸学の知見を総動員しなければいけないと証明するかのような状況だ。が、よく考えてみるとそれは近代化が用意した枠組みから外れることを意味するのではないか? 社会と自然は近代化によって切り離されたとされる。だが今やこの二つの領域は接合されてしまったかのようだ。2017/08/09

ざっきい

4
科学人類学なる単語に惹かれ読んだ本。1991年、ベルリンの壁崩壊直後に出版。それ以前から盛んであった「社会」と「科学」の分離を考察している。近代人のものの見方はカテゴリー毎に分散化され、人類学が各地域で適用しているような包括的見方ができていないが、事実は混沌とした、人とそれを取り巻く環境の相互作用の歴史の中で創られているといった内容。個人的には、現在この指摘は自然と広まっている印象だがどうだろうか。本文は抽象度が高く繰り返しも多いため、よくまとまっている訳者解題を読む方が面白い。2018/06/24

井蛙

2
「我々は近代人であったことなどない」は未だに近代であるからこそセンセーショナルに響く。 この本の最大の成果は、今日絶対的なものと捉えられている科学も社会的な諸々のコンテクストから自由でないことを示したことだろう。 しかし彼が結論として提示する「モノの民主主義」はやや陳腐な感が拭えない。あるいはこのアイデアをぼくたちがどう読むか、が課題になるのだろう。2017/07/04

ふるかわ

1
やはり面白い2024/02/27

kana0202

1
ザーッと一周。虚構の二元論を生み出す近代が、翻訳と純化という反二元論的発想のもとに、構築されてきたこと。しっかり読みたいところ。2021/07/04

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