出版社内容情報
最近の出版傾向を見ると、脳科学の全盛時代の感がある。しかし、脳科学で人間の全体像がどれほど解明できるのだろうか。いまではわかりきったことだが、人間はたんなる脳の図面の実現ではない。われわれの認識にも感情にも思考にも、そして無意識にも身体的な要素がかかわっている。しかし、科学には身体的な要素をとりいれる枠組みがない。
本書は、ダーウィンの同時代の比較解剖学者チャールズ・ベルの『手』(医学書院より近刊)にならって、人間の発達には脳と手の相互作用が大きくかかわったことを論証しようとする。著者のフランク・ウィルソンは、それを手や腕と脳の解剖学だけでなく、古人類学の最近の成果と、認知科学の成果を生かして証明しようとする。読者はジョン・ネイピア(霊長類学)、ロビン・ダンバー(生物学)、マーリン・ドナルド(心理学)、ヘンリー・プロトキン(心理学)、スティーヴン・ピンカー(脳認知科学)、メアリー・マーズキ(形質人類学)のような生きのいい発言者たちの研究成果の援用を楽しむことができる。ここで検討されるのは、言語とはなにかという問いでなく、言語を可能にしている条件はなにかという問いである。
フランク・ウィルソンのおもしろいところは、以上のような発言者と自分の主張を、実在する卓越した手技(スキル)の持ち主たち(ピアニストや人形遣い、外科医など)の体験談を通じて証明しようとしたことにある。こうした人たちとの数多くのインタビューの内容が紹介され、その妥当性の有無はともかくとして、それらが本書を楽しめるものにしている。これらの議論は、必然的に今日の教育問題に結びつく。カナダの教育家キーラン・イーガンや、シーモア・サラソン、ジーン・バンバーガーの発言は、教育関係者にとって意味深いのではないだろうか。つまり本書は、人間と言語と文化の発達に関心をもつ人たちだけでなく、手技を生かす職業人や教育関係者たちにも、新しい視野を開く可能性をもっている。(ふじの・くにお 翻訳家)
著者 Frank R. WILSON ニューヨーク市のコロンビア大学と、カリフォルニア医科大学サンフランシスコ校を卒業。神経科医、カリフォルニア医科大学サンフランシスコ校・パフォーマンスアーティストのためのピーター・F.オストワルド・ヘルスプログラムの医学ディレクター。
内容説明
著者は、脳科学や神経学、言語学、認知科学などの最新成果や古典的業績を縦横に渉猟し、“脳と身体”をめぐる現代の難問を、“手”を軸に追求していく。しかし、本書の魅力はそれだけに尽きない。マリオネットに息を吹きこむ人形遣い、利き手の指を失くして目覚めたアクセサリー作家、奇術師の手をもつ外科医など、“手”を通して身体と語りあい、困難を克服した“手技のエキスパートたち”との濃密な対話によって、精神活動の源である“手”の謎と秘密が鮮やかに描かれる。
目次
夜明け
手・思考・言語の結びつき
人類が木からおろした腕
アレクサンドリアとデュッセルドルフの人形の教訓
手と目と空
過去のグリップ
二四カラットの親指
右手には左手がしたばかりのことがわかる
悪ガキ、ポリリス、異質な技術による革命
思想を表現できる手
調和と進化のプレスティッシモ
ルーシーからルルとローズへ
タフで、やさしく、粘り強く
手のなかに隠されているもの
手に向かって進もう