内容説明
ドキュメンタリーとは事実の客観的記録である―ほんとうにそうなのだろうか?すべての映像は、じつは撮る側の主観や作為から逃れることができない。ドキュメンタリーを事実の記録とみなす素朴で無自覚な幻想からは、豊かな表現行為は生まれようがない。だが、撮ることに自覚的で確信犯的な作品の中には、観る側の魂を鷲づかみにしてきたものが多々ある。本書は、ドキュメンタリーというものが拓いてきた深甚な沃野に向き合い、その悪辣で自己本意で、自由で豊潤な表現世界の核心へと迫るものである。たんなる映画作品論ではない。この現実世界の見方そのものを揺さぶる鮮烈な論考である。
目次
ドキュメンタリーに惹かれる
「客観的な真実」
オウム真理教を撮る
撮る側のたくらみ
フィクションとノンフィクションの境界で
わかりやすいマスメディア
全ての映像はドキュメンタリーだ
陽の目を見なかった企画
報道とドキュメンタリー
ドキュメンタリーの加害性
セルフ・ドキュメントという通過点
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
ドキュメンタリーは嘘をつく
ドキュメンタリー映画評
著者等紹介
森達也[モリタツヤ]
1956年、広島県呉市生まれ。立教大学法学部卒。映画監督、ドキュメンタリー作家。1998年、オウム真理教の荒木浩を主人公とした自主制作ドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン・プサン・香港・バンクーバーなど各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2002年に公開した続篇『A2』は山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞および市民賞をダブル受賞
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感想・レビュー
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ゲオルギオ・ハーン
阿部義彦
keiniku
ふう
mizzan72