内容説明
芸術は境界線上で生まれ変わる。アウトサイダー・アートの作家たちの規制の枠にとらわれない表現は、今や世界中の人々を惹きつけるものとなり、そもそも彼らを外部(アウトサイド)の存在と見なす価値観自体が問い直されようとしている。数多くの魅力的な作品のなかに、これからの芸術の可能性が見えてくる。
目次
1 アール・ブリュットと創造性の起源の探求
2 アウトサイダー・アートと蒐集の創造的役割
3 アール・ブリュットとサイコティック・アートの古典期
4 今日のサイコティック・アートとアウトサイダー・アート
5 落書きとその他のオートマティスム
6 アウトサイダー・アートの美術界への紹介とその問題
著者等紹介
マクラガン,デイヴィド[マクラガン,デイヴィド][Maclagan,David]
アーティスト、アートセラピスト
松田和也[マツダカズヤ]
翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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EnJoeToh
6
そう言われてもな。2011/05/06
dilettante_k
4
原著09年。ジャン・デュビュッフェがアール・ブリュットを見出して半世紀以上。そのコレクションが権威を備えるに至った現在、著者は作品の魅惑を認めつつ、アール・ブリュットや現在進行形のアウトサイダー・アートを取り巻く狂気や真正性、純粋な芸術的創造性などの言説を「幻想」と断じ、疎外されたはずの文化の派生物に過ぎないと強調する。一方で、現代のアウトサイダー・アーティストを取り巻く環境、特に美術市場との関わりで起こる作品の変質や搾取の可能性を指摘し、その行きし方を論じる。やや悲観的だが歴史と実態に則した骨太な一冊。2013/03/02
Toshi
3
上野に「あるがままのアート」展を見に行く予習として、図書館本をピックアップしたが、アーティストや作品を紹介するものではなかった。「アウトサイダー・アート」、あるいは「アール・ブリュット」とは何であるかと言う話を、過去の議論も含め、問題提起をしつつ語っているが、風呂敷は広げたものの、結局のところどうなのよと言う内容である。しかしながら実際展覧会を見て、そんなことは吹っ飛んでしまった。何かを表現したいと言うパワーの前に、評論家による定義づけは無用である。No Art, No Life. 百聞は一見にしかず。2020/08/19
彼方
1
未読了。 異端を愛する自分、という痛すぎるセルフイメージの補強のみをモチベーションでチャレンジしたが、全く頭に入ってこない。 完全に教養不足ですね。 唯一、自分が理解できたのは、本当に自分が好きなのは、アウトサイダーアートではなく、プリミティブアートということのみ。何という自分語り。 この歳で、ここまで歯が立たない、なんてことがあるんだなあ。 ダーガー位しか知らない程度では、門外漢ということです。 2019/08/09
Orochidou
1
アウトサイダー・アートをつくる原因や意味やコンテキストやら作家性やらいろいろと考察してる。「アウトサイダー・アート」と言ってしまってる時点で美術のコンテクストにカテゴライズしてしまってるわけで、それを画家本人が自覚したら確かにそれはもうすでにアウトサイダーではない。絵描きとしてはアール・ブリュットと言われるように「生の」絵を描くのが理想だけれど“鳥が飛ぶ事を自覚していない”のと同じようにもはや「生の」絵を生むことができるかできないかは先天的に決まるものなのかも知れない、と思いました。2012/04/28