内容説明
“聴く”とは何か?“音楽”とは何か?いま音楽は、“音響”と“聴取”の狭間で根源的問い直しにさらされている。サウンド・アート、音響派、ポスト・テクノ、そして映像・言語芸術の最前線を走査し、来たるべき音楽美学のパラダイムを浮上させる、批評の冒険。
目次
1 「サウンド=アート」の境界画定
2 池田亮司をめぐって
「サイレンス」の解析―「小文字の音」をめぐって
高橋悠治をめぐって
Who has seen the wind?―オノヨーコ小論
MIKRO/MAKRO―坂本龍一小論
オヴァルと「デザイン」
現前する「記憶」―ジョナス・メカス論
北野武の「静かな海。」
スタン・ブラッケージと「音響派」
音と名づけえぬ「音」―ブラッケージをめぐって(with畠中実+久保田晃弘)
音楽・ノイズ・神、あるいはエクスタティック・ピース!
「モオツァルト」・グラモフォン―小林秀雄と「音」
小林秀雄の/と「耳」―「モオツァルト」・グラモフォン2
言葉と物と音について―多和田葉子/カールステン・ニコライ/ヴァルター・ベンヤミン
著者等紹介
佐々木敦[ササキアツシ]
1964年生まれ。批評家。HEADZ代表。雑誌FADER編集発行人。慶応義塾大学SFC、武蔵野美術大学、東京藝術大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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保山ひャン
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サウンド=アート、池田亮司、高橋悠治、スタン・ブラッケージ、小林秀雄。ほとんど聞き取れないロウアーケース・サウンドなど、聴くことについての考察の行き着く先は、ベンヤミンの純粋言語。小林秀雄の批評における、「遭遇の演戯」は、ついやってしまいがちなので、もうちょっと意識的になろう、とか、音楽とは別のところで身のひきしまる思いもした。2015/12/11
鯨、或は山田
0
聞くことを、聴取のみならず、体感するものとして捉え直す批評の試み。音響というだけではなく、その環境それ自体を受容する感覚とした時に、空気の振動としての音は観客にどう作用するのか。どのような態度で臨むべきなのか。2014/11/09
roaming_south
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1章などで紹介されている曲や詩は、そのジャンルではそこそこ有名なものが多く、ubuやyoutubeでも簡単に手に入る素敵な時代なので、もっと読まれても良いと思う。2012/02/24