感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
まふ
104
あたかも尋問のように懸命に聞き込もうとするダニエルに対してケージがさらりと受け答えするその「空気感」がとてもいい。彼の師シェーンベルクの音楽が時間に捉われて終止形を必然とする「旧来の構造」であるのに失望してその構造を捨てた、といういわば「無構造の音楽」「生成の音楽」がケージの行きつくところであった。騒音と楽音の区別はなく、おそらく「作品として切り取る」ことさえも本来は無意味なのであろう。鈴木大拙の教え、荘子・易経を音楽に生かそうとするケージの音楽は人間本来の自然そのものに帰して行く…。まさに座右の書だ。2023/12/18
Ecriture
12
トナリティ(調性)、カデンツ(終止形)、ソルフェージュによって音を抑圧してきた音楽に疑問を持ち、サイレンスや騒音を含む音の拡充を図る。35~37年の「無一文」期、楽器を借りる金を工面できなかったことから楽器外の音を否応なしに取り込んだ経緯が興味深い。金があれば普通に楽器を使っていたと本人が言っている。ウォーホルと同じ泥をケージも持っている。政治・支配の不在を示すというアナーキズムはやはり今になってみると苦しい。森の茸のように新鮮であり続けるサティと革命の祖としてのソローへの偏愛は相当に深いもののようだ。2014/06/22
しゅん
11
再読。支障となるシェーンベルグとの出会いまでに、後で彼を紹介する作曲家に会うために12時間待ち続ける気合いエピソードがあったり、細部が楽しく読めるインタビュー集(?)。ケージの徹底した上演主義者、つまりアウラ主義者ぶりが見え隠れ。故に家具の音楽のサティとはかなり違う思想を持っているわけだけど、ケージはサティのことを最大限に尊敬していてるんだよな。そのねじれた関係性がおもしろい。ジョイスへのリスペクトも半端ないな。2018/06/02
roughfractus02
4
Cageを一般名に変換すれば鳥籠になる。この隙間だらけの空間は、幾何学的な著者の音楽を示唆する(彼の図譜集を参照)。本書ではピアノの弦にボルトを挟んで調性を破壊したり、演奏者をピアノの前に座らせて観客自身の音を聴かせたという話は、楽器が買えないから音自身に興味を持ったという話と同様単なるエピソードとなる。重要なのは、ここでは音が時間に従わず、空間化する点だ。本書では、時折アナーキーと呼ばれる制約の少ない自由なトポロジーによってCage状トーラスが作られる。小鳥たち=読者はその隙間の外へ飛ぶように誘われる。2017/09/07
uchiyama
2
「感情を体験することはできますが、それをあまり重大に考えないことです…。それをほうっておけるようなやり方で捉えるんです。強調しないことです」。「ある人をあるがままにしておく、そしてその人のことを思いやる、つまり他人のことを思いやる最良の、そして唯一の方法は、その人が自分の言葉で自分のことを考えるままにしておくことです。自分に固有の言葉で他人のことを考えるのは難しいし、不可能なので、一人一人のまわりに空間を残すしかありません」。「なにも強制しないこと。あるがままにしておくこと。各々の音と同じように」。2022/05/16