総動員体制と映画

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ A5判/ページ数 337p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784788508668
  • NDC分類 778.21
  • Cコード C1074

出版社内容情報

 日中戦争以降、「映画は弾丸である」というスローガンが官民を問わず流行しました。映画が戦争において果たす役割を、人々が認識していたということでしょう。しかし、政府の映画政策はその力を十分に引き出すことができたでしょうか。本書は、十五年戦争中、「映画国策」の名のもとに行なわれた数々の映画統制政策を、日本国内はもとより満洲、中国、南方、朝鮮、台湾などに広大な日本支配地域にわたって丹念にたどることで、「映画と国民国家」の密接な関係を説き明かし、戦後の日本映画の起源をも明らかにした力作です。

 一八九〇年代末に発明された映画は、文学・音声につづく映像という新たな伝達手段として、二つの側面をもって発達した。一つは情報伝達の側面であり,もう一つは娯楽の側面である。これは新聞、出版、放送といった先行メディアと同様であるが。映画の特徴はその発展過程が近代戦争と密接な関係をもち、また世界規模の市場を有する一大産業として急速に発達したことであろう。 見世物として導入された映画は、日本ではまず娯楽として発展した。一九二〇年代には会社組織による映画興行が増加し、民衆の間にも最も安価で手軽な娯楽として普及していた。しかし、一九三〇年代後半に入ると、映画には娯楽意外の「役割」が期待されるようになる。その役割とは映画の社会的影響力を利用した戦時態勢への国民動員である。情報宣伝、教化、戦意昂揚といった映画が民衆にもたらす効果は第一次世界対戦時にヨーロッパで確認され、日本にもその情報が伝わってはいたが、現実性をもってそれが意識されたのは、日中戦争による国家総動員態勢構築の過程においてであり、そこで提唱されたのが「映画国策」であった。(はじめに)

 「内務省警保局の館林三喜男氏の日記など新資料を駆使し、官庁統制意図と映画会社の対応を分析した労作だ」(2003.9/21 日本経済新聞〈活字の海で〉文化部 古賀重樹氏)

内容説明

戦時下、「映画国策」の名のもとに行なわれた数々の映画統制政策。日本国内はもとより満洲、中国、南方、朝鮮、台湾などの日本支配地で繰り広げられた映画政策の現実を丹念にたどることで、「映画と国民国家」の関係を明らかにする。

目次

第1部 総合的映画統制への模索―映画国策への道(総合的映画統制構想の出現;映画法制定による統制体制の樹立)
第2部 映画国策の確立と戦時国民動員の実施(映画臨戦体制による映画産業の再編;製作から興行にいたる総合計画の形成)
第3部 映画国策による国民動員の限界(大陸における映画工作の展開;日本支配地における映画工作の展開;映画産業による自治的統制への移行)

著者等紹介

加藤厚子[カトウアツコ]
1972年東京都生まれ。1997年お茶の水女子大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。2001年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較文化学専攻修了。博士(人文科学)取得。現在、お茶の水女子大学文教育学部人文科学科助手
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。