出版社内容情報
澁澤の胎児の夢が、玩物喪志の志が、妖異博物館が、大衆化して遍在するにいたった昭和末期、その彼が晩年に鋭く訴えずにはいられなかった高度消費社会に対する違和感とは? いま・ここを生きるための倫理を求めて全昭和史を振り返る。
(序)ぼくたちの失敗――なぜ澁澤龍彦なのか?
もはや異端ではなかった澁澤龍彦/ナルシスたちの自惚れ鏡/もっと強さを!――「E.T」、エコロジー、死刑廃止をめぐって/デオドラント・ニッポン――あるいは澁澤龍彦の時代
1 少年博物館長の宇宙
(1)優等生の秘かな愉しみ――娯楽としての博物館
ボマルツォの森への憧憬――夢の館の案内者としての優等生/田中康夫の目に博物館はどう映ったか?/澁澤龍彦が棲む異郷――図鑑の国、標本の国、剥製の国/優等生たちの「夢の国」――現実逃避としての学問と思想/見世物としての「知識」――包装紙としてのペダントリー/アトランダムというスタイル――終わりなきイメージ羅列の魔境/結論を出せない知性――これは啓蒙書ではない/綺譚読みもの作家という見世物師
(2)眼の欲望によってもぎとられた蒐集物(コレクション)、さえも
目の前へごろりと投げだされた「もの」自体/男性のオナニズム――性器と眼だけしかない化け物/ダンディズムの密室へこもる剥製蒐集者/神と貨幣、あるいは澁澤龍彦の眼が君臨する専制王国/膨大な商品の集積としてのみ現象するアイデンティティ/自己言及と規範――/生まれ変わったテキストのこと――『夢の宇宙誌』誕生のプロセス
3 高度成長の文化的矛盾
(1)高度成長の長い午後――六〇年代と澁澤龍彦
ダサい時代の始まり――『快楽主義の哲学』の二正面作戦/「宝石」誌という解放区――澁澤龍彦と筒井康隆の同時デピュー/高度消費社会の尖兵とされた幼年皇帝
(2)新しい知の台頭――七〇年代と澁澤龍彦
「記号」と「力」と「元型」と――進歩史観凋落の時代/これは学問ではない――新しい知と澁澤龍彦の岐路/「学会の言葉」と「市場の言葉」
(3)復辟の朝とポストモダン――八○年代と澁澤龍彦
SFと幻想文学の世代――貴公子とおうちの子の大量生産/エンターテインメントとしての「異端」/アクセサリーとしての「異端」――澁澤龍彦の大衆化/サイン会と見世物師――流謫の果ての幼年皇帝領/「読書する私」と心境小説――回帰すべき体験を求めて
(4)昭和の子供よ、ぼくたちは――そして、平成……
彼はなぜ「パラダイム」を嫌ったか/イコンとしての言葉――芸術と実用とが融合する小宇宙/文化の衰弱――「自由な表現」を忘れて「表現の自由」を訴える転倒について/職人たちのユ
内容説明
膨大なモノが溢れ、若者がカプセルに籠って生きるようになった昭和末。それは渋沢龍彦の胎児の夢が、玩物喪志の志が、妖異博物館が、大衆化して遍在するに到った時代ではなかったか。全昭和史を貴種流離した幼年皇帝が少年少女の憧憬を集めた幸福なその晩年、鋭く訴えずにはいられなかった高度消費社会への違和感とは?我らが平成を生きのびるための立志を賭けて今、放たれる壮大な昭和の精神史、書き下ろし七百枚。
目次
ぼくたちの失敗―なぜ渋沢龍彦なのか?
第1部 少年博物館長の宇宙(優等生の秘かな愉しみ;眼の欲望によってもぎとられた蒐集物、さえも;あるいは宇宙模型でいっぱいのおもちゃ箱)
第2部 幼年皇帝のいる昭和史(クイズ少年と記憶の領土;戦後青年と衒学の伽藍;バスティーユ牢獄が崩壊した日)
第3部 高度成長の文化的矛盾(高度成長の長い午後;新しい知の台頭;復辟の朝とポストモダン)
昭和の子供よ、ぼくたちは―そして、平成
感想・レビュー
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harass
白義
1988
コウみん
koala-n