渋沢龍彦の時代―幼年皇帝と昭和の精神史

渋沢龍彦の時代―幼年皇帝と昭和の精神史

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  • サイズ B6判/ページ数 387,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784787290830
  • NDC分類 910.268
  • Cコード C0095

出版社内容情報

澁澤の胎児の夢が、玩物喪志の志が、妖異博物館が、大衆化して遍在するにいたった昭和末期、その彼が晩年に鋭く訴えずにはいられなかった高度消費社会に対する違和感とは? いま・ここを生きるための倫理を求めて全昭和史を振り返る。

 (序)ぼくたちの失敗――なぜ澁澤龍彦なのか?
  もはや異端ではなかった澁澤龍彦/ナルシスたちの自惚れ鏡/もっと強さを!――「E.T」、エコロジー、死刑廃止をめぐって/デオドラント・ニッポン――あるいは澁澤龍彦の時代

1 少年博物館長の宇宙
 (1)優等生の秘かな愉しみ――娯楽としての博物館
  ボマルツォの森への憧憬――夢の館の案内者としての優等生/田中康夫の目に博物館はどう映ったか?/澁澤龍彦が棲む異郷――図鑑の国、標本の国、剥製の国/優等生たちの「夢の国」――現実逃避としての学問と思想/見世物としての「知識」――包装紙としてのペダントリー/アトランダムというスタイル――終わりなきイメージ羅列の魔境/結論を出せない知性――これは啓蒙書ではない/綺譚読みもの作家という見世物師
 (2)眼の欲望によってもぎとられた蒐集物(コレクション)、さえも
  目の前へごろりと投げだされた「もの」自体/男性のオナニズム――性器と眼だけしかない化け物/ダンディズムの密室へこもる剥製蒐集者/神と貨幣、あるいは澁澤龍彦の眼が君臨する専制王国/膨大な商品の集積としてのみ現象するアイデンティティ/自己言及と規範――/生まれ変わったテキストのこと――『夢の宇宙誌』誕生のプロセス

3 高度成長の文化的矛盾
 (1)高度成長の長い午後――六〇年代と澁澤龍彦
  ダサい時代の始まり――『快楽主義の哲学』の二正面作戦/「宝石」誌という解放区――澁澤龍彦と筒井康隆の同時デピュー/高度消費社会の尖兵とされた幼年皇帝
 (2)新しい知の台頭――七〇年代と澁澤龍彦
  「記号」と「力」と「元型」と――進歩史観凋落の時代/これは学問ではない――新しい知と澁澤龍彦の岐路/「学会の言葉」と「市場の言葉」
 (3)復辟の朝とポストモダン――八○年代と澁澤龍彦
  SFと幻想文学の世代――貴公子とおうちの子の大量生産/エンターテインメントとしての「異端」/アクセサリーとしての「異端」――澁澤龍彦の大衆化/サイン会と見世物師――流謫の果ての幼年皇帝領/「読書する私」と心境小説――回帰すべき体験を求めて
 (4)昭和の子供よ、ぼくたちは――そして、平成……
  彼はなぜ「パラダイム」を嫌ったか/イコンとしての言葉――芸術と実用とが融合する小宇宙/文化の衰弱――「自由な表現」を忘れて「表現の自由」を訴える転倒について/職人たちのユ

内容説明

膨大なモノが溢れ、若者がカプセルに籠って生きるようになった昭和末。それは渋沢龍彦の胎児の夢が、玩物喪志の志が、妖異博物館が、大衆化して遍在するに到った時代ではなかったか。全昭和史を貴種流離した幼年皇帝が少年少女の憧憬を集めた幸福なその晩年、鋭く訴えずにはいられなかった高度消費社会への違和感とは?我らが平成を生きのびるための立志を賭けて今、放たれる壮大な昭和の精神史、書き下ろし七百枚。

目次

ぼくたちの失敗―なぜ渋沢龍彦なのか?
第1部 少年博物館長の宇宙(優等生の秘かな愉しみ;眼の欲望によってもぎとられた蒐集物、さえも;あるいは宇宙模型でいっぱいのおもちゃ箱)
第2部 幼年皇帝のいる昭和史(クイズ少年と記憶の領土;戦後青年と衒学の伽藍;バスティーユ牢獄が崩壊した日)
第3部 高度成長の文化的矛盾(高度成長の長い午後;新しい知の台頭;復辟の朝とポストモダン)
昭和の子供よ、ぼくたちは―そして、平成

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

harass

48
この評論家のデビュー作であり出世作。文庫化を切に願う。80年台高度消費社会とオタクの生き方についてが著者のいつもの裏テーマにあるのだが、澁澤龍彦に焦点をあて、かれの著作がいかに受容されてきたかとその社会変化を論じる。昭和の文化史で、異端だった彼が、異端であるからこそのスターになるまでを描く昭和史の評論だ。題名だけは知っていたが今回読む機会があり非常に充実した読書体験を得られた。正直個人的に澁澤の著作は良さを分からないがなぜか本棚に4冊もある。80年台に買ったものでとにかく持っておくかという意識があった。2016/02/24

白義

11
浅羽通明渾身の大作。高度消費社会を生きる若者たちの皇帝として澁澤龍彦を読み解き、しかし彼が消費社会を生きる、浮遊したオタクたちの未熟さとは異なる成熟の道をいっていたことを彼の著作から読みといていく。力作だが欠点としてまとめでも一目瞭然なように、あまりに俗流若者論的な安い説教がましさ、江藤敦的な成熟パラダイムにただ乗りした安直さがある。ただし、これは浅羽通明という批評家に一貫する短所であり今さら口を酸っぱくして論難するほどではないだろう。強みはその圧倒的な博識を生かした文化史的な部分2013/03/16

1988

3
いわゆる「新人類」の考察に打ってつけの一冊。知性さえも消費されるだけの時代、大衆に受け入れられてゆく澁澤作品と、それに対して澁澤氏がどういうスタンスで臨んだかという点が、とても興味深い引用とともに考察されている。澁澤龍彦の「遊戯としての知性」と、それを受け入れた新人類の大衆のあいだにある溝について。―90年代に書かれた本ではあるが、文学の現代史と未来を考えるうえでも欠かせない問題に、澁澤龍彦という人物を通してかなり迫ることができるように思う。2014/02/28

コウみん

2
澁澤が生きた昭和時代を振り返る。 学生運動。オタクの登場。バブル時代。澁澤龍彦を読んできた若者たちの世界観を解析した内容だった。 特に横浜浮浪者襲撃殺人事件のことについて澁澤さんが批判したコラムの解説は割と分かりやすかった。そして、宮崎勤事件について澁澤さんと連関しながら書いたのもとても面白かった。 澁澤龍彦の本を読んだことがある人なら是非読んでほしい。2021/09/28

koala-n

2
サブタイトル通り、澁澤龍彦という稀有な作家の変転を通して戦後の精神史を描いた長編評論。前作『天使の王国』の問題意識を受け継いでいて、その続編(前史)としても読める。つまり、平成の世にオタクとして定着するある感性の歴史を追ったという側面も。ただ、著者の関心は、ではどうして澁澤龍彦は一個のマニアではなく、より開かれた精神をもつことができたのか?、ということにより強く引き付けられていて、その解明に多くのページが費やされている。そして、そのことにかなりの程度成功しているように思える。とっとと文庫化されるべき名著。2013/06/19

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