内容説明
流体写真・心霊写真・妖精写真・ダウジング・念写―私たちは「見えない世界を写してくれるかもしれない」という期待と不安を抱きながら、他方でウソだと思いながらも写真に見入ってしまう。写真と現実、科学と疑似科学の境界を示す80点以上の写真とエピソードをちりばめて、その不気味さ・奇妙さから写真の本質に迫る写真評論。
目次
序章 写真の周縁へ
第1章 見えないから写す―写真と流体
第2章 写して見せる―降霊術としての心霊写真
第3章 見えなくても写る―妖精写真とカメラ的想像力
第4章 写らないものを見る―カレンベルクの写真ダウジング
第5章 写っても見ない―テッド・シリアスのポラロイド念写
終章 期待と不安の狭間で
著者等紹介
浜野志保[ハマノシホ]
1974年、愛知県生まれ。千葉工業大学工学部准教授。専攻は近代視覚文化史(特に19世紀から20世紀にかけてのパラノーマル文化“念写、心霊写真、降霊会、ダウジングなど”について)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
32
「その通りに写る」という、写真への一種の信仰。しかしトリックはほとんど写真の歴史とともにある。心霊写真や念写など、怪しげな歴史的事実を取り上げながら、人々の写真(と、その技術)へのまなざしを解明していく。トリックの暴露本とは違い、写真に向けられた思想・感触を、周縁から浮き彫りにしていく評論。あえてマージナルな方向から挑んだ試みである。日本の例が少ないのは、小池壮彦「心霊写真」という先行本があるためだろうか。ところで例示写真のためとはいえ、本文用紙が堅いので、開きにくい造本なのが残念。著者の責任ではないが。2015/03/30
∃.狂茶党
7
これは助走に過ぎず、いずれ、本格的な論考が書かれるものと期待する。 妖精写真から、ダウンジングまで、この世界に動く何かの力についての想像力と、山師たちと、信じたい人。 ここには大きな鉱脈が埋まってる。 地球線の話は、オカルト関係や神話について何か書く人には非常に便利。 風水や、レイラインといった大規模な枠についてものが、想像力との関係で論じられるのかも。 2022/06/16
dilettante_k
7
15年著。X線、心霊写真、念写。黎明期から20世紀半ばまでに次々と生まれた写真の周縁領域の歴史を辿り、「見えない」ものが写真により「見える」ことで「存在する」ことの担保になるという短絡を取り上げ、写真の媒体としての性格そのものが惹起する現象であることをその国境地帯(ボーダーランド)から問い返す。論理的な飛躍にもかかわらず、流体や幽霊、妖精、念写が唯物論的な思考に立脚し、写真に結びつくことで存立基盤を獲得する過程から、反対に写真の曖昧さ、中間性を浮き彫りにする。明瞭なテーマに加え、図版も豊富で読みやすい。2015/03/24
OKKO (o▽n)v 終活中
6
図書館 ◆著者が博論等を元にまとめた一冊。流体写真、心霊写真、妖精写真にダウジングとおいしいオカルトねた満載なれど、その真偽をビリーバーのように感情的に訴えるとかスケプティックスのように否定に徹するとかいった立ち位置とは無縁。写真という「新発明のメディア」が人々の心にどんなさざ波(もしかすると大波)を生じさせたのか、なぜそうした現象の真偽や効能が真剣に議論されることとなったのか、当時の報道などをつぶさに分析し論じる。日常的に接する題材ゆえ、「自分の興味」をどうすれば論文に持っていけるのか各行からぐいぐい。2015/08/31
TCD NOK
5
心霊写真について書かれた本ではなく、心霊写真に関わった人々についての研究本。カメラが普及し始めた時期と一部の階層でオカルトがブームにんなった時期が重なり、文明の利器として発明されたカメラが、見えないものや現世にいるはずのないものを写す魔術の代名詞のように扱われてしまう。もちろんインチキやトリックもある。しかし、そこから心霊写真は奇術、興行など大衆向けや純粋に心霊学、神学などスピリチュアルな学問の対象にもなった。中にはシャーロック・ホームズの生みの親のコナン・ドイルも妖精が写った写真に魅入らされていた。2019/03/16