「ほんもの」という倫理―近代とその不安

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  • サイズ B6判/ページ数 190p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784782801406
  • NDC分類 104
  • Cコード C3010

内容説明

フリードリッヒ・ニーチェからゲイル・シーヒィへ、アラン・ブルームからミシェル・フーコーへと、テイラーはさまざまな観念とイデオロギーについて論じてゆく。テイラーはそうした議論をとおして、近代においてほんものの自己が育まれてきたその歩みのなかから、よきものと害をなすものとを区別する。自己創造の探求と自己形成への衝動とを結びつける思考と道徳のネットワーク―テイラーはその全体像を描き出し、そうした営みはどのようにしてなされなければならないか、既存のルールや道徳的評価のふるいに取り込まれることなく進めるにはどうしなければならないかを示す。このネットワークに照らすならば、表現することやさまざまな権利が、また人間の思考の主体性が近代の最大の関心事であったことは、わたしたちにとって清算すべきこと、否定すべきことではなく、活かすべきこと、大事にすべきことであるとわかる。

目次

第1章 三つの不安
第2章 かみ合わない論争
第3章 ほんものという理想の源泉
第4章 逃れられない地平
第5章 承認のニード
第6章 主観主義へのすべり坂
第7章 闘争は続く
第8章 もっと微妙な言語
第9章 鉄の檻?
第10章 断片化に抗して

著者等紹介

テイラー,チャールズ[テイラー,チャールズ][Taylor,Charles]
1931年モントリオールに生まれる。マギール大学で歴史学を、オックスフォード大学で哲学を修め、1961年から母校マギール大学の教壇に立つ。1976‐81年にはオックスフォード大学チチェリ社会政治理論教授ならびにオール・ソウルズ・カレッジのフェローに。マギール大学の哲学・政治学教授を経て、現在は同大学名誉教授ならびにノースウェスタン大学教授。50年代後半にはニュー・レフト第一世代として活躍。New Left Reviewの創刊にもたずさわった。近年ではコミュニタリアニズム(共同体主義)の思想家として知られる

田中智彦[タナカトモヒコ]
1967年東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得。政治思想/医療思想。早稲田大学教育学部助手を経て、現在、東京医科歯科大学教養部助教授
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

なっぢ@断捨離実行中

8
「ほんもの」なんて本当にあるのだろうか。現代のナルシシズム化した個人主義に抗って技術主義(俗流化したニヒリズムの別称)でも保守主義(過去を理想化した反動)でもない第三の道をテイラーは模索する。しかし彼は「Aではない。Bではない」と決して「ほんもの」を積極的に語ろうとはしない。それはあくまで民主的な議論の上に見出だされるべきものだからだ。原子化した理想などカルトと同じである。プロセスそのものの価値を救い出し、近代哲学最良の達成――自己陶冶の理論を蘇らせる試みは現代に切実な問いを投げかけている。2017/02/05

7ember

5
マンガなどで「自分の好きなこと」「夢」みたいな言葉をみる度にもやもやしていたが、そのもやもやに直球を投げ込んでいるのが本書。現代に溢れる選択・決断そのものに価値を見出だす自己決定の文化は「自分に忠実であれ」という〈ほんもの〉の理想が「すべり落ちた」様態なのだという。確かに今どきのもの分かりのいい大人的アドバイスって自分で決めなさいって感じで、その帰結への責任に関しては歯切れ悪いよなあ。やっぱ間違ってましたってなった時に寄り添う気あるのかよっ……て思ったけどイシグロの『日の名残り』ってそういう話なのかな。2023/03/23

ナヌ

1
テイラーの相対主義批判は考えさせられる部分が多かった 選択できるということを重要視するあまりその選択が認められるべき理由を人々は考えなくなる 同性愛が認められることは人には言えないような性的嗜好も認められることと同じになってしまう あと、読む前に予想していた共同体の道徳の復権!!という感じのコミュニタリアンではなかった。人々は対話して道徳を模索していかなくてはならない。そうした道徳は人間本性として全人類共通のものでもない。2019/12/23

左手爆弾

1
3つの近代の不安、①個人主義、②道具的理性、③新しい専制による自由の喪失に対する倫理学。今や当たり前のようになっている相対主義は、近代特有の自己達成の理解から成立している。「ほんもの」という価値を持つことは、そうした個人主義を中和する働きを持つ。基本的には個人主義がいかにして浸透していったかの思想史で話が進み、後半では他者との共同可能性やケアの倫理へと話が及ぶ。肝心の「ほんもの」がよく理解できなかったのと、近代批判がやや陳腐な切り口でしかないというのが、正直な印象ではある。2016/12/25

じょに

1
みんな「ほんもの」って言いたがる気持ちはよく分かる。「ほんもの」って言わないとやってられんもんね。でもその「ほんもの」という物言いが、当の「ほんもの・を可能にするもの」を切り崩すんだよ。だから「ほんもの」を「ほんとうに」大切にするんなら、そこに敏感でいなくちゃねって話。ここから先はアドルノかローティか。2009/06/12

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