ウィトゲンシュタインのパラドックス - 規則・私的言語・他人の心

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  • サイズ B6判/ページ数 300p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784782800171
  • NDC分類 134.9
  • Cコード C3010

出版社内容情報

ウィトゲンシュタインの後期の哲学を,「規則は行為の仕方を決定し得ない」というパラドックスの提示とそれの解決という視点から,全く新しく見直そうとする野 心的な試み。言語論・心身問題に新しい展望を拓く。
〔主要項目〕
序章 ウィトゲンシュタインのパラドックス・規則の問題・ その解決と「私的言語」論  他

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

32
著者が演説口調なので強調のための議論の重複が多く読み易いともいえるし、地続きのひとつの議論で読み辛いともいえます。接続詞をみつけて議論に追いつくことが可能な反面、小見出しが無いので議論を見失うと途中から復帰するのは不可能です。内観的な参照項を想定したモデルでは規則を問えますが、生活形式が一致してはじめて示され得るという言語ゲームにおいては、具体的な問題としてしか議論されないことをアイロニカルに自ら示している語りです。ファーストコンタクト物のSF映画が胡散臭いと感じる直感を持っている人にはお勧めです。2020/11/21

34

23
クリプキは明示化可能な規則の集合を前提とすることなく、規則に従うとはどういうことなのかについて説明を与えるモデルを考案している。このモデルのなかで重要な役割を果たしているのが規則に違反した場合を判別する共同体の概念である。この共同体は事実上の存在なのか、神話上の存在なのか。クワインが言語習得のモデルを描写したときとおなじものがここで働いている。哲学が超越論を回避しようとするときの奇妙な帰結。むしろ問うべきは、われわれが話しをするたびどこかに〈共同体〉を存続させてしまうのはどうしてなのか、ということだろう。2018/06/23

34

18
「規則に一度だけ一人っきりで従うことはできない」というウィトゲンシュタインの(パラドクスでもなんでもない)問題―言語の公開性と複数性といってしまえばすむだけのこと―を、〈共同体〉という現実の事象を導入しなければ解決できないとみなすことは、ほとんど病気。要するにこういうことだ。分析哲学者たちのあいだでしばしばあることだが、主観的なものを議論の正当化のために用いるべきではないという(真っ当な)規約から、心的なものの白紙性という誤った仮定が(ほとんど気づかれないうちに)導き出されているのだ。2019/06/22

またの名

11
どの発言にも反論して解体するネットお馴染みのポスト真実的論法のような、「68+57の答えが5にならない理由はありませんよね」との屁理屈に真面目に応答しても「でもそれも確かじゃないですね」と懐疑する質問者を仮定。人がちゃんと足し算できるという保証は共同体が一般水準をマスターしたと認めることで与えられ、そうした言語ゲームを習得できない者は共同体から排除されると議論。しかしそれと違う仕方でゲームを行う集団の存在は否定されない。心の内を表現した言葉が後からいくらでも解釈変更可能な言語の脆さを暴く、静かに過激な本。2018/05/29

大道寺

4
「私的言語」と「他人の心」についてウィトゲンシュタインが主に『哲学探究』でしている議論をクリプキが解説する。有名なクワス算が出てくる。クリプキによるウィトゲンシュタイン入門。訳者あとがきにもあるように本書を読むために哲学的な知識はほとんど必要とされず、主に知性が必要とされる。/「我々のパラドックスはこうであった。即ち、規則は行為の仕方を決定できない、なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させられ得るから。」(『探求』第201節)ここから議論は始まる。/(1/3)2013/01/19

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