アット・オウム―向こう側から見た世界

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アット・オウム―向こう側から見た世界

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  • サイズ A5判/ページ数 213p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784780802184
  • NDC分類 169.1
  • Cコード C0036

出版社内容情報

地下鉄サリン事件から20年。なぜオウム事件は起きたのか。160点の写真と元信者の証言、麻原彰晃の説法などから「なぜ」を問う。

1995年3月20日 地下鉄サリン事件が起きた。
無差別なテロによって13人が死亡、6000人以上が重軽傷を負う。
麻原彰晃を教祖とするオウム真理教の組織的な犯行だった。
その後、殺人をはじめとした多くの犯行が次々と明らかになる。

著者・古賀義章は当時週刊誌の記者で、オウム真理教事件を取材していた。
教祖逮捕から1年半後、オウム施設が近々解体されると聞き、
山梨県上九一色村(当時)、熊本県波野村(当時)の広大な敷地に建てられていた施設を
撮り始める。撮影した写真は5000カットに及んだ。
教祖逮捕後も施設に残り、修行を続ける信者たち。
標高800メートルの山深い阿蘇の村に建てられた「シャンバラ精舎」には、
強制退去の前日までふたりの信者が住んでいた。
いっぽう、サリンプラントなどがあった上九一色村のサティアンから
信者たちが退去したのは、1996年10月のことだった。
信者の去ったあとには、彼らが暮らした痕跡がそこここに乱雑に、いや乱暴に残されていた。
サリンプラントをはじめ、犯罪の痕跡も生々しく見え隠れする。
上九一色村と波野村の施設の解体までを見届けた記録の数々は、
いま我々に何を語りかけるのか。

あのときから20年。
我々と彼らの距離はどれほどのものだったのだろうか?
誰もが思うオウムの「なぜ」。この問いにこそ、意味がある。

2015.2山梨県 上九一色村[現・富士河口湖町]002
1995.3強制捜査 006

オウム真理教関連の事件年表 004
はじめに…オウムの「なぜ」 008

記録写真
1996.3上九一色村 014
1996.8熊本県 波野村[現・阿蘇市]025
1996.8上九一色村

内容説明

我々と彼らの距離はどれほどのものだったのか?記録写真、証言、麻原説法から見るオウム真理教。

目次

2015.2 山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)
1995.3 強制捜査
1996.3 上九一色村
1996.8 熊本県波野村(現・阿蘇市)
1996.8 上九一色村
1996.8 静岡県富士宮市
1996.11 上九一色村
1996.11 波野村
1996.12 波野村
1997.1 波野村
1997.1 富士宮市
1997.1 上九一色村
1997.2 上九一色村
1997.4 上九一色村
1997.5 上九一色村
1997.8 波野村
1998.1 上九一色村
1998.9 上九一色村
1998.12 上九一色村

著者等紹介

古賀義章[コガヨシアキ]
1964年、佐賀県生まれ。1989年明治大学卒業後、講談社入社。『フライデー』編集部、『週刊現代』編集部を経て、2001年渡仏。2005年『クーリエ・ジャポン』創刊編集長に就任。現在、国際事業局担当部長としてインド事業を担当。アニメ『スーラジザ・ライジングスター』のチーフ・プロデューサーを務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。