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マルセル・デュシャンとアメリカ―戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷

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  • サイズ B6判/ページ数 311p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784779510632
  • NDC分類 723.35
  • Cコード C3071

出版社内容情報

戦後アメリカ、新芸術の旗手たちはデュシャン/レディメイドに何を見、何を望んだか? 彼らの言説から導く新たなデュシャン論。

第1章 はじめに



第2章 記述するデュシャン/記述されるデュシャン

     ――一九三〇‐四〇年代を中心に――



 1 デュシャンを取り巻く状況

 2 キュビストとしてのデュシャン

 3 シュルレアリスムとデュシャン

 4 記述するデュシャン――ソシエテ・アノニムを中心に

 5 ウエスタン・ラウンド・テーブルでのデュシャン



第3章 画家であること、ダダであること

     ――ジョーンズ、ラウシェンバーグとデュシャン――



 1 ネオ・ダダとデュシャン

 2 ダダとしてのデュシャン、画家としてのデュシャン

 3 ネオ・ダダと絵画

 4 物体としての絵画、絵画としてのレディメイド



第4章 芸術とマルチプリシティ、マルチ・プルアウトとしての芸術



 1 フルクサスと「芸術」

 2 イベントと身体

 3 マルチ・プルアウトとしてのマルチプル

 4 開示の場としての身体



第5章 ポップ・アートとレディメイド

     ――vulgarityの表象を巡って――



 1 ポップ・アートと批判言語

 2 ポップ・アートとアメリカ

 3 ポップ・アートとコンテクスト

 4 ポップ・アートと匿名性



第6章 コスースの位置、グリンバーグの位置



 1 コンセプチュアル・アートとフォーマリズム

 2 反フォーマリストとしてのコスース

 3 フォーマリストとしてのコスース

 4 視覚性のアポリア



第7章 与えられたとせよ 1.芸術作品 2.マルセル・デュシャン



 1 身振りが与えられたとせよ

 2 「芸術作品」が与えられたとせよ

 3 「マルセル・デュシャン」が与えられたとせよ

 4 「芸術」が与えられたとせよ



第8章 結びに

平芳 幸浩[ヒロヨシ ユキヒロ]
1967年 大阪府に生まれる。1990年 京都大学文学部卒業。2000年 同大学院文学研究科博士課程単位認定退学。以後、2008年まで国立国際美術館学芸課に勤務。2004年 博士(文学)(京都大学)取得。現在  京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授。著作  『西洋近代の都市と芸術3 パリ? 近代の超克』〔共著〕(天野知香編,竹林舎,2015年),Wort-Bild-Assimilationen:Japan und die Moderne〔共著〕Simone Muller,Ito Toru and Robin Rehm (eds.),Gebr. Mann,2016,「東野芳明のデュシャン/中原佑介のデュシャン」(『美術史』第180冊,美術史学会,2016年),他。

内容説明

1950‐70年代アメリカ、新芸術の旗手たちは、デュシャン/レディメイドに何を見、何を望んだか?ネオ・ダダ、フルクサス、ポップ・アート、コンセプチュアル・アート…それぞれの視線/言説の先にデュシャンを捉える。

目次

第1章 はじめに
第2章 記述するデュシャン/記述されるデュシャン―一九三〇‐四〇年代を中心に
第3章 画家であること、ダダであること―ジョーンズ、ラウシェンバーグとデュシャン
第4章 芸術とマルチプリシティ、マルチ・プルアウトとしての芸術
第5章 ポップ・アートとレディメイド―vulgarityの表象を巡って
第6章 コスースの位置、グリンバーグの位置
第7章 与えられたとせよ 1.芸術作品 2.マルセル・デュシャン
第8章 結びに

著者等紹介

平芳幸浩[ヒラヨシユキヒロ]
1967年大阪府に生まれる。1990年京都大学文学部卒業。2000年同大学院文学研究科博士課程単位認定退学。以後、2008年まで国立国際美術館学芸課に勤務。2004年博士(文学)(京都大学)取得。現在、京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ハエドリ

3
なかなか難解で骨のある本だった。デュシャンが同時代の他者からどのように認識され、受容されていったかを、キュビズム・シュルレアリスム・ネオダダ・フルクサス・ポップアートなどから多角的に論じている。遺作の『「見ること」からの解放』に関する議論がとても面白い。2018/02/27

おきょう

0
20C半ば、抽象表現主義後の模索の時代。当時の芸術家や批評家にとってポロックやデ・クーニングらの存在は大きく、偉大な先代に続く新たな芸術を作り出すのに腐心していたらしい。ネオ・ダダやポップ・アートが抽象表現主義と接続されることで"芸術"として認められたというのは分かりやすいが、コンサートやイベント等を主な活動としたフルクサスさえ、ポロックのアクション・ペインティングの身体性・偶然性を拠り所に、自らの"芸術"としての正統性を抽象表現主義とのつながりの中に見出したというのには驚いた。2017/09/07

保山ひャン

0
タイトルでも、また第1章での「本書の概略」でも、また第8章「結びに」でもわかりやすくまとめられているように、マルセル・デュシャン受容(他者の欲望によって貫かれたデュシャン像の展開)をいくつかの特異点において分析し、デュシャン自身それを戦略的に楽しんでいた様が描き出されている。キュビスム、ネオ・ダダ、フルクサス、ポップ・アート、コンセプチュアル・アートなどにおけるデュシャンの位置、そして遺作によるデュシャンのたくらみ。面白い!2018/08/16

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