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内容説明
なぜ8割の人が安らかに死ねないのか。本人の意思を確認できないまま、老衰末期の高齢者に胃ろうなどの人工栄養が機械的に処置されている現実。医療の進歩と行き過ぎた延命至上主義が私たちから穏やかな死を奪う。このままでいいのだろうか?外科医から特養の常勤医へ転身した著者の「往生の哲学」が、いずれ死を迎える私たちすべてに生き方への深遠な問いを投げかける。
目次
第1章 八割の人が「平穏死」できない理由
第2章 「口から食べられなくなったら」―胃ろうの是非を考える
第3章 「老い」は病気か
第4章 終末期医療と介護のカベ
第5章 「平穏死」は殺人か
第6章 「看取り」と向き合う
第7章 生き方の大きな変革
著者等紹介
石飛幸三[イシトビコウゾウ]
特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。1935年広島県生まれ。1961年慶應義塾大学医学部卒業。外科学教室に入局後、1970年ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務。1972年東京都済生会中央病院勤務。30年にわたって頸動脈内膜剥離術など血管外科の発展に寄与する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。1993年東京都済生会中央病院副院長。2005年12月より現職。診療の傍ら、講演や執筆、メディアを通して、老衰末期の看取りのあり方についての啓発に尽力している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ダージリン
12
日本の延命至上主義の医療への問題提議、法的なことの説明があり、「そうなのか!」としばしば驚きました。そして実際に「平穏死」を迎えられるようにホームで行っている「看取り」の事例を読んで、各職種の連携と家族とのかかわりの大切さを改めて思います。家で最期を迎えることが難しくなっている今、せめて、こういうホームがどんどん増えればいいなと思います。2012/10/23
でんか
8
日本の医療・介護に関して、さきに診療報酬の改定があったので、国の方針はある意味明らかになったのだろう。そうはいっても現場はどうするかだ。ひとの死に際して、医療の介入はいつまで・どこまで必要なのか?どこまでも人的・物的資源を投入することは難しいだろうからして、どこかで見切る(というかなんというか)ことになるのだろう。平穏死、という考え方もその決断の一助になると思う。とはいえ、個々人の選択の範囲を狭めるべきではないとは思う。 2018/01/31
T坊主
8
アメリカでは不適な対応を法で取り締まる事までしているのに、日本では不適切かもしれない事を、罰せられるのではと医者は怯えている。しかも胃ろうをつけた人に対して1年間にかかる医療費と介護費の合計は約500万円、寝たきりで胃ろうをつけた高齢者は30-40万人と、これで毎年1-2兆円の税金が払われている。老衰の果ては病気ではない、保護責任者遺棄と脅す医者、刑法の改正が必要と。食べさせないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ。もっと平穏死を医者も国民も認識しなければいけないのでは。2013/01/11
のり
7
以前にも著者の本を読んだことがあり、手に取りました。特別養護老人ホームでの終末期医療の実態について興味深く読ませて頂きました。口から食べられなくなったら、私も胃ろうを作るのはためらわれます。胃ろうを作るのは本人の意思確認はできず、家族による代理確認がほとんど。自分自身だけでなく、家族がもしそうなったらどうするか元気なうちに話をしておこうと思いました。家族もスタッフも自然に看取ることを望んでも、それができる環境がない。平穏死を法律と照らし合わせて考えている部分が印象に残りました。2016/01/05
Yuichi Yamasaki
7
人は必ず死ぬ。日々の生活の中で死を意識する事はあまり無いかも知れませんが、人生のどこかで機会を設けて自分の意思を示せなくなった時(呆けた時などに)周りにどう対応してもらうのか伝えておく必要がある。自分自身の姥捨山をどこにするのか考えた。今の高齢者は今の制度でいいのかもしれない。ただ自分にその時が来た時には年金、医療を含め若い世代に負担をかけない死に方をしたいと思います。2014/01/22