内容説明
近代への努力を怠ってきたツケが、今この社会を襲っている。日本の終わりを書きとめるための、過激な社会学者と実践的評論家による奇跡の対談集。
目次
まえがき 何もしない大塚英志と、何かをする宮台真司の差異が、さして意味を持たない理由(宮台真司)
1 二〇一一年 すべての動員に抗して―立ち止まって自分の頭で考えるための『災害下の思考』
2 二〇〇三年 歴史を忘却する装置としての象徴天皇制
3 二〇〇四年 アイロニカルな構造自体を示したい
「あとがき」にかえて もう一度だけ「公民の民俗学」について(大塚英志)
著者等紹介
大塚英志[オオツカエイジ]
まんが原作者、評論家。神戸芸術工科大学教授、東京芸術大学大学院兼任講師、芸術工学博士
宮台真司[ミヤダイシンジ]
社会学者・映画批評家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程を修了し、現在は首都大学東京教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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harass
82
2011年震災後と2003年と2004年の対談をまとめたもの。大塚の「物語消費論改」で触れられているが、この本の表題を「土民社会」にしようとしたが出版社から拒否られたという。震災ごときで日本人や日本は一挙に変わるわけもない、とする二人の諦観に満ちた対談。宮台のいう田吾作、『真理や知識が意味を持たず、従って大ボスがいないにもかかわらず、空気に縛られる存在』、大塚は土民と名付ける、マジョリティへの毒にクラクラする。それではどうすればいいのかと、二人それぞれの計画と実現可能性を検証するが… 二人のファン向け。2018/10/14
ころこ
30
2011年からもだいぶ経って、二人の立ち位置も変わりました。対立から統合へというようにみえて、現時点からみると勝手知ったる同世代同士が安心してボヤいているようにしか聞こえません。「土人」というのも緊張感の無い関係に起こる放言で、読者はシラケます。宮台は社会学者、大塚は文学=社会という二人が社会のことを語ると、こうも詰まらないのかと落胆しますが、不思議なもので、映画やマンガのことを語らせると随所で見逃せに出来ない発言があります。2020/09/07
たばかる
19
3年ぶりくらいに再読。今回ガチンコ拮抗している点は、共同体による親密圏の構成が重要だとする宮台に対し、大塚は共同体内での近接性(束縛)の強さが問題だと指摘する。この点は奇しくも両者が震災期に感じた周囲の視線の違いに起因する様であり、それゆえに現在にも続く宮台的革命路線(まずミクロに、まず持つ者からの改革) が普遍性を本当に持つのかというところが克明に現る。一方で大塚も厭世である様でいて、数々のワークショップやプログラムを設けたり「大学生の面倒はちゃんと見る」と言ってるあたり、一石を投じ続けてはいるみたい。2021/09/09
ichiro-k
15
愚民(愚かで無知な民衆)文中では田吾作(宮台)土人(大塚)と表現。 東日本大震災や原発事故を契機に「原始信仰の禊(みそぎ)」が終わったかのように振舞い、リセットできると思い込んでいる。 「他力本願で民度が低い」オメデタイ民族は、単細胞の魚の群れのように空気に反応して右往左往。マスメディアや自称知識人は、ひたすらその空気を読み、思考停止状態の愚民達を煽り、知らず知らずに「動員」されている、という「当てつけの啓蒙的」内容で自分自身は良民と思い込んでいる人間にとっては読了感悪し。 昨年暮れに京都の坊主が「絆」と2012/02/15
阿部義彦
10
日本を代表する二人の評論家による対談。3.11以降、戦後ならぬ、震災後と対応する言説をたたかわせるスリリングな言葉のプロレス!、一見仲の悪そうなお二人が和解してその後の日本を占う。宮台が田吾作と言えば、大塚は土人と言うこの国の事。「なでしこジャパン」に乗ってとりあえず日本が有ることにする、軽薄にお灸を据えます!2015/08/29