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日本の戦争 BC級戦犯60年目の遺書

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  • サイズ B6判/ページ数 319p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784776204466
  • NDC分類 916
  • Cコード C0010

内容説明

父母、妻子への最期の言葉。涙なくしては読めない、いわれなき罪を背負わされた英霊たちの想い。封印されてきた118通の遺書を完全初公開。

目次

第1部 チャンギーとBC級戦犯(最後の証言者;田中日淳の終戦;チャンギーへの道;教誨師として死刑囚と向き合う ほか)
第2部 遺書―118人の最期の言葉(昭和二十一年三月十四日 駒井光男/栄島信雄;昭和二十一年三月二十三日 平澤厚/新重俊;昭和二十一年四月六日 原田国市/柳本静一/牛島勝市/佐藤為徳/田澤啓三;昭和二十一年四月二十七日 福栄真平 ほか)

著者等紹介

田原総一朗[タハラソウイチロウ]
1934年、滋賀県生まれ。60年、岩波映画製作所入社、64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として、「大隈塾」塾頭も務める。雑誌『オフレコ!』(アスコム)の責任編集長としても活躍中

田中日淳[タナカニチジュン]
1914年、北海道生まれ。27年に得度受戒。40年、立正大学文学部仏教学科卒業。同年、徴兵により終戦まで軍隊生活を送ることとなる。45年、シンガポールの陸軍第三航空軍司令部で終戦を迎え、46年12月から47年8月までチャンギー刑務所にて日本人BC級戦犯の教誨師を務めた。88年に日蓮宗大本山池上本門寺第81世貫首、95年には第48代日蓮宗管長に就任

堀川惠子[ホリカワケイコ]
1969年、広島県生まれ。広島テレビ放送を経て、現在ドキュメンタリーディレクターの傍ら執筆活動にも取り組む。主な作品に『ニッポンの筆 世界に挑む』(NTV、ギャラクシー選奨・民放連優秀賞)、『チンチン電車と女学生』(NTV、放送文化基金賞・民放連最優秀賞)、『ヒロシマ・戦禍の恋文』(NHK、ATP賞ドキュメンタリー部門優秀賞)がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

かに

6
シンガポール、チャンギー刑務所に収容され、BC級戦犯として刑死した日本軍兵士達の遺書。 理不尽な裁判・判決であり、国のために私心なく尽くし、何ら恥ずべきことはしていないという気持ちや残された家族への別れの言葉・家族に対する心配・先立つことに対する謝罪、英軍に対する恨み、死生観、日本の安泰と繁栄を願う思い、などが共通して書かれていた。 戦犯裁判の理不尽さや実態はきっと後の世で必ず明らかになるということを確信しながら亡くなった方々。 そのような思いに応えるためにも戦犯裁判について知っていかなければいけない。2022/12/21

mimm

4
近付く死に対しての思いが意外にも穏やかで、叫びも美しく遺書に綴られていて驚きました。きちんとした裁判も行われず、スケープゴートのように処理されていく。そんな理不尽な死を前にしてもなお、心はしっかりとしている。報復のような私刑、裁判の過程。遺書としてでなくひとつの史料として遺族以外にも向けられ、遺されているような気がした。今まで知らなかったBC級戦犯といわれる人たちのことを、もっと知りたくなりました。2011/11/21

横丁の隠居

2
A級戦犯についてはよく人の口の端に上るけれど、BC級戦犯についてはあまり語られることがない。B級が普通の戦争犯罪、C級は人道に対する罪。当時の日本人は「生きて虜囚の辱めを受けず」とかいっていて、捕虜の人権なんて概念すらなかったんじゃないか。そういう人たちの犯した、あるいは犯したとみなされた罪で、たくさんの日本兵が死刑になった。チャンギ刑務所はシンガポールでたくさん日本人が処刑された場所。これも冷たく言えば当時の日本人の勉強不足、そして当時の戦争指導者の無知の所産なのですね。東條英機なんてジュネーブ条約すら2014/07/09

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