出版社内容情報
【「万能の理論」は、どのようにして、その思想的役割を終えるのか?】
フェミニズムは、マルクス主義と同じように「20世紀の遺物」とみなされはじめている。「破壊の思想」は、新しい社会を構築する術をもたなかったようだ。フェミニズムがどれほど意識の覚醒を説いても思想的「うんざり」度が昂進するばかり……。
しかし、私たちはその「善いところ」はしっかり汲みとっておく必要があるだろう。
文学論と映画論から、フェミニズムの核心に鮮やかに迫る、問題の書。
(コレを読むと、「おじさん的思考のマナー」を養うこともできます。)
ショシャーナ・フェルマンの「トラウマ論」、リュス・イリガライの「女として語る語法」、シモーヌ・ド・ボーボワールの「女性版ヘーゲル主義」、ジュディス・フェッタリーの「抵抗する読者」論など、フェミニスト批評理論の基幹的主張をかたっぱしから撃破する命知らずな知的冒険(というか知的自殺?!)
さあ、著者はフェミニストの猛反撃に耐えて生きて2003年を迎えることができるか。
まえがき――私がフェミニズムについて知っている2,3の事柄
◆フェミニズム言語論◆
□「女として語る」ことは可能か?
女の謎/他者の言葉/言葉の檻
□フェミニズム言語論の基本構制
問題の所在/シモーヌ・ド・ボーヴォワール/
リュス・イリガライ
□女性と言語――ショシャーナ・フェルマン
性化された語法/抵抗する読み手/懇請する読み/
「女として読む」ことの困難さ/抵抗と逸脱/
バルトのテクスト論
□女として「書く」こと
言語はほんとうに「性化」されているのか?/女性の伝記/
私と言葉の乖離/トラウマ
□「私」の創成
◆フェミニズム映画論◆
□エイリア
【フェミニストたちはかつては本当に輝くように魅力的な存在だった……】
おじさんたちが若い頃、「いい女」はだいたいみんなフェミニストだった。だからもちろんおじさんたちはフェミニズムを断固支持した。当たり前だよね。「いい女」と仲良くするというのは「ストリート・ファイティング・キッズ」にとって人生における最大の目標なんだから、自余のことは論ずるに足りない。
そうやっておじさんたちは「いい女」とわりない仲になった。しかし、おじさんたちはフェミニストと「家庭を持つ」ということがどのようなカタストロフをもたらすのかを知らなかった。そして、ほとんど例外なく、ぼろぼろになって中年を迎えることになった。どうして、刺激的で知的でエロティックで幸福な前代未聞の開放的な男女関係をもたらすはずの「イズム」がおじさんたちにこんな酷いしうちをしたのか、その理由がどうしても分からなかった。
オレたちが何をしたっていうの?
おじさんたちはその癒されぬトラウマを抱えていま老年期を迎えようとしている。ぼちぼち誰かが「あれはさー、実はこうゆうことだったんじゃないかなあ?」と説明しないといけないと思う。私たちが少年だったときに、輝くよ
「男性中心主義」のこの社会を壊した後、フェミニズムはどういった構想でこの社会を築いていくの?という「素朴」な問いから考えていくような本です。
内容説明
「宿敵」フェミニズムとの終わりなき戦い。文学論と映画論からの鮮やかなアプローチ。
目次
フェミニズム言語論(「女として語る」ことは可能か?;フェミニズム言語論の基本構制;女性と言語―ショシャーナ・フェルマン;女として「書く」こと;「私」の創成)
フェミニズム映画論(エイリアン・フェミニズム―欲望の表象;ジェンダー・ハイブリッド・モンスター)
著者等紹介
内田樹[ウチダタツル]
1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京都立大学人文学部助手を経て、神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うどん
TETSUYA
時折