内容説明
戦勢すでに傾きつつあった昭和18年10月、師範学校を出て海軍に入隊、8カ月余の速成教育で海軍士官となり憧れの戦闘機搭乗員に。多数の特攻隊員を送り出し『予備学生の墓場』と呼ばれた元山空、そして三〇三飛行隊で沖縄桜花特攻直掩、本土防空戦に奮戦した若きパイロットの手記。全力で生きた2年間の軌跡を綴る。
目次
第1章 予備学生になるまで
第2章 娑婆から土浦航空隊へ
第3章 霞ケ浦海軍航空隊東京分遣隊
第4章 大村海軍航空隊元山分遣隊
第5章 元山海軍航空隊飛行学生
第6章 元山海軍航空隊教官
第7章 元山海軍航空隊での生活
第8章 二〇三航空隊戦闘三〇三飛行隊
付・愛機零戦の泣きどころ
著者等紹介
土方敏夫[ヒジカタトシオ]
大正11年(1922年)、東京生まれ。豊島師範学校卒業、東京物理学校在学中、昭和18年10月、13期海軍飛行専修予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。19年8月、飛行学生教程卒業。元山海軍航空隊教官。20年4月、203航空隊戦闘303飛行隊(鹿児島市鴨池基地)に転勤。沖縄戦にて、特攻機直掩、機動部隊索敵攻撃、邀撃戦などに参加。終戦時、海軍大尉。戦後は、私立成蹊中学校・高等学校数学科教諭を39年、外務省人事課子女教育相談室長を18年と、教育関係の仕事に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nnpusnsn1945
7
地上では穏やかな教官も、空中では厳しくなる人がいたのも興味深かった。 海兵出身者でも、良い人はいたが、皆戦死していしまい、嫌な奴しか生き延びていなかった所が運命の非情さが目立つ。 また、今の北朝鮮にあった元山航空隊の様子も伺える。 幸いにも上官が特攻反対派であったためか、生き延びて記録に残せた所を見ると、やはり軍隊は「運隊」であると実感させられた。2020/09/14
はるとらみ
1
予備学生は海兵出の士官のスペアと言われ、娑婆っ気が抜けていないといちゃもんをつけられては殴られ一般社会での経験が長いから本当は海兵出の士官よりも世間を知ってる分だけ大人なんだけどそこは悲しいかな軍隊なので殴り返すわけにもいかず。著者は下士官であろうと学ぶべき部分はきちんと教わるという人で人間として好感が持てた。人間は肩書きや階級が全てではない尊敬する部分を持ってるなら下士官でも敬意を持ち学ぶ、それが戦闘時には自分を守り生かすことに繋がるのだと思う、列機である下士官も人間だ嫌な奴の後ろは守りたくないだろう。2016/02/12