著者等紹介
沢田教一[サワダキョウイチ]
1936年2月22日、青森県青森市に生まれる。50年4月、青森高校入学。54年米軍三沢基地内の写真店で働く。56年結婚。61年12月、三沢時代の米軍将校の紹介でUPI通信社東京支社へ入社。65年7月、UPI特派員としてサイゴン支局に赴任。9月、「安全への逃避」を撮影。「安全への逃避」で第9回ハーグ世界報道写真展ニュース写真部問グランプリ。「安全への逃避」で第23回USカメラ賞受賞。66年4月、「安全への逃避」でピュリツァー賞受賞(ニュース写真部問)。「安全への逃避」でアメリカ海外記者クラブ賞受賞。「泥まみれの死」で第10回ハーグ世界報道写真展ニュース部門第一位、「敵を連れて」で同第二位。第24回USカメラ賞受賞。67年アメリカ海外記者クラブ賞受賞。68年「フエ城の攻防」で第26回USカメラ賞受賞。9月、UPI香港支局に写真部長として赴任。70年1月、UPI特派員としてサイゴンに再赴任。10月28日、F.フロッシュUPIプノンペン支局長とともに取材中のカンボジア国道2号線で狙撃され殉職(34歳)。70年ロバート・キャパ賞、講談社文化賞、アサヒカメラ賞受賞
酒井淑夫[サカイトシオ]
1940年3月31日、東京で生まれる。1961年明治大学在学中、PANA通信社の暗室でアルバイトをする。1965年4月、UPI通信社東京支局に入社。1967年4月、UPIサイゴン支局に赴任。881高地などインドシナ戦争を取材して回る。6月、雨季の南ベトナムで「より良きころの夢」を撮影。1968年4月、「より良きころの夢」でピュリツァー賞受賞(第一回企画写真部問)。1971年2月、ケサン基地を拠点にラオス侵攻作戦を取材。5月、ラオス侵攻作戦の終了後、UPIを一次退社し、渡米。1973年1月5月、UPIサイゴン支局に写真部長として復帰。1975年1月末、陥落迫るサイゴン、カンボジアなどを取材後、3月初旬、帰国。9月、ソウル支局へ転任し、朴政権下の韓国を取材。1976年UPIを再退社、フリーに。1986年AFP通信社東京支局写真部長に就任。その後、ソウル五輪、フィリピン政変、天安門事件などを取材。1989年8月、AFPを退社。以後、ビデオ企画会社・ウッドストックを主宰。1999年11月21日、鎌倉の病院にて死去(59歳)
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