目次
序章 “個人と社会”再考
第1章 社会の“終焉”
第2章 個人化する社会
第3章 リスクと連帯
第4章 分割できない社会
第5章 監視社会
第6章 生権力と統治性
第7章 個人の意識と社会のシステム
第8章 “行為者とシステムは別れた”
第9章 「と」の論理
第10章 社会の個人
著者等紹介
三上剛史[ミカミタケシ]
1952年京都府生まれ。京都大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程中退。現在、神戸大学大学院国際文化学研究科教授、博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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佐島楓
33
参考図書。フーコーとデュルケームが頻繁に引かれる。個人の人格までをも認められる社会、枠にはめないで運営できる社会は存続が難しい。難しいがゆえに追究していきたい。2015/08/16
ヒナコ
11
あとがきによると、著者の大学講義のテキストとして好感されたテキストとのことだが、教科書的ではなく、なかなか読みごたえがあった。 「近代化の末に、我々が体験している社会は、初めは結びついていた個人と社会が、次第に分離しつつある姿に現在進行形で変容しつつあるなどということではなく…中略…すでに分離してしまった後の社会である」(131ページ)と著者が述べているような、高度に個人化し、それぞれの個人が分断されきった現代社会の分析が本書の主題である。→2022/04/12
ひるお
2
ルーマンを軸に様々な人物の学説を引きながら、伝統的社会学の「個人」と「社会」を結びつけるという視点を脱し、「個人」と「社会」を切るという視点で考えることを提案する一冊。社会学に関する本を読むのは初めてだったので難解なところもあったが、各学説を一通り見て考え方を身につけることができるという点ではいいトレーニングになる本だった。本書を読んだ後に、本書で挙げられている本を読んでいくと、各学説がより理解しやすいかも。2017/01/23
Mealla0v0
1
筆者が講義のテキストとして執筆した、「社会と個人」を問う書。社会システムの運動を統治と見做すことで、フーコーをルーマンに引きつけつつ、そこへリスク社会論とその両輪である個人化論(要するに再帰的近代論)をぶち込んでいる――やや乱暴なきらいもあるが非常にユニークな接合だと言える。本書の問題意識は「社会的なものの終焉」である。社会学のアイデンティティ・クライシスを乗り越える為、筆者は社会と個人の「切断」を唱える。この点が最も独創的であり、社会学全体としての今後の展望を示せているように思う。2017/09/03
山島 小吉
1
行為者とシステムは別れ、ゲマインシャフトはあらゆる分離にもかかわらず結合している。概念化され、そして複合化する自我は閉じたシステムへと自律した。これは、ルーマン曰く「個人意識の内的複合性の増大と再帰的閉じの昂進」であり、肥大し、自律化した意識システムは社会システムと同じ重みで存在し、従属関係を越えた対等な形であろうとする。分離した二つのシステムを結びつけるために象徴化された一般メディアが機能し、機能によりなされるコミュニケーションの連鎖によって生される空間こそが、社会である。2013/10/19