パルマケイア叢書
「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社

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  • サイズ A5判/ページ数 297p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784760132508
  • NDC分類 121.6
  • Cコード C3021

出版社内容情報

讀賣新聞・産経新聞でも絶賛!

内容説明

日本の危機を超克するための哲学は可能か。新世界秩序の創造を目指す、西田幾多郎ら京都学派。それを執拗に否定する、蓑田胸喜ら原理日本社。激しい思想戦から描き出す、斬新な近代日本思想史。

目次

第1章 西田幾多郎の哲学的挑戦―自己からの創造(西田幾多郎の「論理」;国家理由の問題―マイネッケへの苛立ち ほか)
第2章 京都学派の世界史的挑戦―近代の超克(ヨーロッパ中心主義からの跳躍―鈴木成高;近代国家との訣別―西谷啓治 ほか)
第3章 蓑田胸喜の西田幾多郎批判―禁忌としての日本(蓑田胸喜の執念;偶像を刻んではならない―カントとマルクスの「共通宿命」 ほか)
第4章 蓑田胸喜の天皇機関説批判―原理日本社の公論(自我意識の極大化と絶対への欲求;「コトノハノミチ」という論理 ほか)
第5章 京都学派対原理日本社―日本をめぐる闘争(絶対的なるものへの欲求;自己の責務 ほか)

著者等紹介

植村和秀[ウエムラカズヒデ]
1966年、京都市生まれ。1988年、京都大学法学部卒業。京都大学法学部助手、京都産業大学法学部講師、助教授を経て、京都産業大学法学部教授。専攻、ナショナリズム研究・ドイツ政治思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

gtn

6
蓑田胸喜の狂気じみた知識人批判は、「原理日本」誌があるからこそと思えてきた。読者を引き付けるために、あらゆる人物を俎上に載せる。言わば「読み物」である。原理日本廃刊とともに精神を病み、自決。全力で走り続けたゴールが廃刊だったのか。2019/01/28

ポン

6
西田と蓑田が対立されて論じられるとはいえ、二人がみたら激怒しそうな表紙(笑)近代における各対立項のような思想が同根を持っているというのは他にもみられることだ。京都学派については、主体的な世界創造の思想が戦後京都学派にも続いていくことにも留意しておきたい。蓑田については西洋的な思惟をことごとく否定しつくしさったところに、国家世界を自分の中に内在させ安心するという個人主義の極致が残ったのは皮肉。しかし、「コトノハノミチ」に生きる蓑田を批判する「言葉」はなかなか見つからないのだ。2013/12/03

ぽん教授(非実在系)

6
かなり歯ごたえあり。原理日本社を知らなくても西田哲学や近代の超克はある程度知っておかないと話にならないので同じ著者の「昭和の思想」を先に読むことを勧める。引用されてる原文(特に西田幾多郎)は難解だが著者の解説のおかげで何とか読み解ける。最後まで読めば日本の昭和期のナショナリズムの多様性と複雑性がわかり、戦後の思想史の見方も変わってくるのではないかと思う。2012/05/13

ポン・ザ・フラグメント

4
蓑田胸喜ってよくわからなかったので、入門書のつもりで読む。教義は屁理屈だから事実にぶつかれば壊れてしまう→教義も哲理も信じない、とここまでは理解できる。そこから、宇宙の生命や神と無媒介的に接しようというのもわかる。わからないのは宇宙の生命=日本の生命、となるところだ。「原理としての日本」て何だ? 国境や言語圏や人種による区分は理屈だ。理屈じゃない「日本」とは、蓑田が日本だと思う日本にすぎず、左だろうと右だろうと否定することでしか浮かび上がらない「否定神学」的存在だ。「私」とは誰か、を問うのと変わらんよ。2013/11/23

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