内容説明
人間が制御できないまでに肥大化した技術的・社会的・経済的な相互依存の複雑性を“一般的等価性”という原則から考察した、現代哲学界の第一人者による、画期的な文明論的布置。
目次
1 破局の等価性―フクシマの後で
2 集積について
3 民主主義の実相(六八年‐〇八年;合致しない民主主義;さらけ出された民主主義;民主主義の主体について;存在することの潜勢力;無限なものと共通のもの;計算不可能なものの分有;有限なものにおける無限;区別された政治;非等価性;無限なもののために形成された空間;プラクシス;実相)
著者等紹介
ナンシー,ジャン=リュック[ナンシー,ジャンリュック][Nancy,Jean‐Luc]
1940年、ボルドー生まれ。ストラスブール大学名誉教授
渡名喜庸哲[トナキヨウテツ]
1980年、福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。パリ第7大学社会科学部博士課程修了。博士(政治哲学)。日本学術振興会特別研究員を経て東洋大学国際哲学研究センター研究助手(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
36
「Ⅰ破局の等価性-フクシマの後で」だけ、フクシマに言及したテクストです。本論の等価性とはマルクス用語ですので、文字通り等価ということです。また、「悲劇」という言葉ではなく、「破局」という言葉を用いています。この「破局」の選択に同意できない読者は多いはずです。フクシマは、アウシュヴィッツと等価であるが、それらは繰り返される匿名の経験ではない。悲劇は「カタストロフェー」によって解消され、いずれ等価な悲劇は繰り返される運命にある。他方で、破局は一回性の経験であり、マルクス史観では繰り返されない歴史の切断である。2019/06/16
34
22
高次の目的から切り離された生は、そのことのゆえに、完全な手段に没するということもない。死をまえにして延命装置に接続された生や若くして最低賃金で働き続けることを余儀なくされた生は、それ自体が目的であるとも手段であるとも決定できない境に入り込む。生だけでなく原子力(あるいは技術一般)の使用もまたおなじように、それ自体を高次の目的に仕えさせるようには、手段として用いることができない。これらのことの背景には、近代技術の発展と結びついた資本主義の核心にある「貨幣の等価性」というすでに下された決断がある。2018/08/14
SHIGEO HAYASHI
5
カタストロフ論(フクシマの後で)、技術論、民主主義論の3篇に、訳者によるインタビューを序として加えた構成。タイトルにもなっている「フクシマの後で」のみであれば物足りなかったけれど、3篇がそれぞれ関連し合ってナンシーの思想を立体的に浮き彫りにしてくれる。インタビューも導入として読みやすく、訳者解題も適切でいい編集になっている。とはいえ、問題提議で終えられている面も多く、その続きの思考は読者それぞれに委ねられている。2012/12/05
d0g_ville
3
技術に対して技術を以て制するという現代社会の在り方を、終局のない拡大再生産的な営為として批判的に捉えるというのが本書の決定的態度であるといえる。ただし、「技術を用いるな」、「自然に帰れ」という典型的なエコロジスト的解決策を主張するのではなく、人々に普遍に内在する他性、「特異性」を愛でよと、ナンシーは述べる訳である。2014/05/15
壱萬弐仟縁
3
文明とグローバル化が相互依存した総体が、決断や熟慮なく、深い方向づけに依存(27ページ)。それらに悪影響された田舎や貧困者といった周辺化している人た日が犠牲になるのはいただけぬ。価値とは、評価し、区別し、創造する振る舞いを区別すること(147ページ)。価値観の多様化とは昔から言われているが、3.11後の価値観の変貌ぶりはどうか。小さいが田舎暮らしでもいいので幸せを、という感じの価値観が見直されている。カネカネの都市であくせく働くよりも、人間的に安心できる暮らしを渇望する人も出てきたか。本サイトも無料で◎。2013/01/14