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内容説明
共同性を編みあげるのは何か?神話か、歴史か、あるいは文学なのか?あらゆる歴史=物語論を超えて、世界のあり方を根源的に問う、いま最もアクチュアルな存在の複数性の論理。
目次
第1部 無為の共同体
第2部 途絶した神話
第3部 「文学的共産主義」
第4部 「共同での存在」について(「共同での存在」について;「共同での」の意味;「共同での」ということ)
第5部 有限な歴史
私たちの共通の果敢なさ―日本語版のために
著者等紹介
ナンシー,ジャン=リュック[ナンシー,ジャンリュック][Nancy,Jean‐Luc]
1940年、ボルドーに生まれる。現在ストラスブール大学教授
西谷修[ニシタニオサム]
1950年愛知県に生まれる。東京大学法学部卒業、パリ第8大学留学。明治学院大学教授(フランス文学)を経て、現在、東京外国語大学大学院教授(思想文化論)
安原伸一朗[ヤスハラシンイチロウ]
1972年生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科博士課程に在学
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ドン•マルロー
17
主にバタイユのテクストを引用しながら語られる共同体論。いかなる人間も、人間である以上、共同体に属さざるを得ないというのがナンシーの主張であり、例えば完全なる孤独を喧伝する人間がいたとしても、その発言の背景には目には見えない共同体、つまり無為の共同体が暗黙理に意識されていることは明らかであるばかりか、孤独とは共同体が包含するうちの一個の状態に過ぎず、それ以外のあらゆるパーソナルな試みも同様である。論旨自体はブランショの「明かしえぬ共同体」とかなり近似的な関係にあるが、個人的には先に本書を読むことを推奨する。2018/01/08
Ecriture
7
ブランショ『明かしえぬ共同体』を書かせるに至ったナンシーの共同体論。ハイデガーの共同存在論が民族意識の覚醒へと向かうのに対し、ナンシーのそれは前提・条件としてのもの。レーヴィットの共同存在論やレヴィナスの他者論とも深い関わりを持つ。人は独りでは生まれることも死ぬこともできない。存在は限界に曝され、分断されつつその分断によってつながっている。分割-分有こそは存在の条件である。加藤恵介氏の言うように、死を回収する共同体の話と言語的共同体の話がなぜつながるのか説明はないが、論文集なので仕方ないところも。2012/09/01
毒モナカジャンボ
2
共同体が到来する地点はどこか。それは他者の死であり、死が死として認知されるためには他者=共同体が発生しなければならない(死人に口なし)。これは限界を画定しないことに限界づけられる共同体であり、主体とか歴史とか資本とかかが作品を生成し、そこに回収されるような共同体ではない(後者らはは諸々の内在的論理から限界を確定する)。地上の共同体を形成する根源的システムが神話であり、神話を無限に手を変え品を変えて繰り出す事態を変えるには、神話を途絶させることが必要になる。神話そのものの内にその途絶を見る。特異性の分有。2021/03/03
🍕
2
ヤバ2021/01/16
🍕
2
思考とコミュニケーションの彼方で厳然と語る書物 奇声が出る 2020/11/13