チッソは私であった

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  • サイズ B6判/ページ数 223p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784751208182
  • NDC分類 493.152
  • Cコード C0036

内容説明

加害者責任を問う水俣病から自らの責任が問われるどんでん返しが起きた。水俣病の怨念から解き放たれた瞬間でもあった。

目次

家出から“運動”へ
チッソは私である
魚とともに生きる
日月丸東京へゆく
魂とは何ぞや
対談 祈りの語り

著者等紹介

緒方正人[オガタマサト]
1953年熊本県芦北町生まれ。不知火海で漁を続ける。水俣病患者の未認定運動に身を投じたが、訴訟を離脱、「本願の会」を発足させて独自の運動を展開
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

nbhd

21
チッソを憎んだ水俣病患者でありながら、最終的に「チッソは私であった」と書くまでに転回できた緒方さんについて、僕はまだ「信じられない」でいる。「なぜそういう心の進化ができるの?」と疑問だけが残り、人間の心のしくみはよく分からないままだ。ただ読んでいて何かにふれたと感じたのは、緒方さんが「チッソは私だ」と思い至ってから3カ月ほど半狂乱の精神状態にあったという生々しい描写。テレビや車を壊す日常、緒方さんはいわゆる「聖人」ではない。「分かった」とは言わずに、「分からない」「信じられない」のままでいようと思った。2016/11/03

Humbaba

4
自分が信じる道を進む。たとえそれが正義であったとしても、周囲の人が同調してくれるとは限らない。また、同じように考えてくれる人がいたとしても、その人も同じ熱意を持ち、かつ同じように行動してくれる保証もない。自分が信じる力が強ければ強いほど、その差異にいらだちを覚えることは多くなる。2015/04/17

井上岳一

3
著者は水俣病認定運動を率いた若きリーダー。しかし1985年に突如運動をやめる。それは、チッソや国の責任を追及する中で、システムばかりでどこにも人間がいない、ということに気づかされたからだ。人間はシステムに従属している。ならば、自分もチッソの社員であったら同じことをしたかもしれない。「自分もまた一人のチッソである」という自覚から、チッソや国の責任ではなく、人間がしてきたことの責任を問うようになった著者は、現代文明とは何か、人間存在とは何かを考え続ける。原発問題を考える上でも必読の魂の書。2013/01/12

Live Stock

3
水俣病は事件後の企業や国の補償、裁判、運動など先の原発事故を考える上で参考になる点が多い。原発事故にしても、果たして誰が悪かったのか、責任を問われるのは「東電」や「国」という概念であって、直接の対象にぶつからない。糾弾されるべきは直接事故を起こした東電の社員ばかりではない、深刻な被害を被った被害者たちの糾弾は、この社会の中で恩恵を享受している我々に対しての言葉でもあるのではないか。そんな疑問から本書を手に取り、水俣病の被害者であり長く補償問題に携わってきた著者による一つの答えが本書にはあった。2012/06/29

健康平和研究所

2
被害者としての自分がもし加害者だったら という問い 人間であることの罪 とても満足した本 自然に生きたいという思いがより一層強まる2015/10/30

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