東アジア教育文化研究シリーズ
平和概念の再検討と戦争遺跡

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ A5判/ページ数 340p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784750322995
  • NDC分類 319.8
  • Cコード C0337

出版社内容情報

「東アジアにおける平和と人権の確立に役立つ教育・研究」を基本理念とする東アジア教育文化学会による総合誌、「東アジア教育文化研究シリーズ」の第一弾。第一号の特集は、戦争遺跡として宮崎の「八紘一宇の塔」を取り上げ、戦争と平和について検証・考察を行う。

「東アジア教育文化研究シリーズ」創刊の辞
はじめに
【東アジアの言葉】
 桜の樹の下には――関東大震災朝鮮人・中国人虐殺における言語と桜(石 純姫)
【東アジア教育文化研究の課題】
 平和についてどう認識するべきか(王 智新)
◇ 特集 平和概念の再検討と戦争遺跡
【現状と課題】
 平和概念の再検討と戦争遺跡(又吉盛清)
 戦争遺跡概念の再検討と平和への可能性(黒尾和久)
 象徴天皇制の「平和」イデオロギーと戦争責任(朴 晋雨)
 日本における戦争記憶の表象と課題――戦争博物館における展示を中心に(君塚仁彦)
 〔報告記録〕国際シンポジウム「東アジアにおける植民地主義の現在と過去」報告 忠魂の碑について
【東アジア教育文化学会第一回フィールドワーク記録】
 戦争遺跡「八紘一宇の塔」の検証
 平和・神話と戦争遺跡――東アジア教育文化学会第一回研究集会・フィールドワークについて(徐 勇)
【東アジア教育文化アーカイブズ】
 石の証言――みやざき「平和の塔」を探る 本多企画ブックレットNo.1
【戦争遺跡を手がかりにして】
 一九六四年東京オリンピック「聖火リレー」で運んだものは何だったのか(渡辺雅之)
 「祖国日向」と考古学研究――「好古家・考古学者」日高重孝・石川恒太郎の歴史認識(黒尾和久)
 朝鮮癩予防協会の設立とその背景――八紘一宇の塔を手がかりに(金 貴粉)
◆小特集1 東京墨田の人権教育――東アジアにおける人権教育の可能性
 皮なめしの町「木下川」から同和教育を考える(岩田明夫)
 東京墨田における地域学習から――「荒川」と「木下川の皮革の仕事」(雁部桂子)
 「産業・教育資料室 きねがわ」にかかわって(鈴木健治)
 東アジアにおける人権教育の可能性(大森直樹)
◆小特集2 中国東北の教育文化
 瑞甸書塾と間島における教育(許 寿童)
 「満洲国」における祝祭日の本質(蘇 林)
 東アジア教育文化研究・交流の検証(大森直樹)
〔東アジア教育文化学会の記録〕
 東アジア教育文化学会設立趣意書
 東アジア教育文化学会事業報告
 東アジア教育文化学会会則
編集後記――あとがきにかえて

はじめに
 東アジアには、いたるところに植民地支配や侵略戦争による暴力の痕跡、その記憶や記憶の場というものが存在する。そしてその多くは、一九世紀以降における日本の「近代化」により生み出されたものである。しかし東アジアでは、とりわけ日本で、それらの記憶が、隠蔽や否認、歪曲、忘却などに曝され、証言しようとする者、記憶を残し継承しようとする者に対する差別・抑圧が、ますますその度合いを強めている。これは、被害を受けた人々に対する暴力の連鎖である。
 平和概念を再検討し、戦争遺跡の研究と教育の可能性を明らかにするという問題意識で本書が編まれたのも、この現状認識があるためである。
 本書の編集にかかわったメンバーと同世代である高市早苗衆議院議員(一九六一年生まれ)は、一九九五年三月、同院外務委員会で次のように明言した。
 「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」
 私たちは、「戦後五十年国会決議」に反対する立場からなされたこの発言に、「平和国家」日本の本質、平和概念形骸化の動きを読み取らざるを得ない。
 平和概念の形骸化を加速させているのは、このようなことだけではない。戦争と差別を批判しつつ、しかし、日本が行った加害事実の総体的な解明よりも、観念的な平和論に傾く事が多かった研究者の責任も軽くはない。日々大量に創造され、壮麗な裾野を広げつつある「知」のクオリティー、そのこと自身を改めて突き詰めなければならない。
 大切なのは、戦争被害・植民地支配による被害を受けた側に対する共感や想像力を駆使すること、そして、それらの人々からの呼びかけや訴えに応答する力なのではないか。何のために知るのか、何のための知なのか、知ってどうするのか――そのことが、今、改めて問われなければならない。
 しかし世界や日本にも、そのような問題意識に基づいて、被害事実の解明や平和概念を実質化する動きが存在している。そして、平和概念の再検討を行う上で、東アジアに無数に存在する戦争遺跡の持つ意味は小さくない。戦争遺跡の研究と教育には、戦争と差別に抵抗する人々を結び付け、抵抗の基盤を強固にする大きな可能性が存在している。改めてそのことを明らかにする必要がある
 アウシュヴィッツの生き残りであり、『アウシュヴィッツは終わらない』(竹山博英訳、朝日新聞社、一九八〇年)の著者であるイタリアの思想家プリーモ・レーヴィは、次のように述べている。
 「一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、という幻想を造り上げたのだった。……(中略)……この考え抜かれた意図的な怠慢こそ犯罪行為だ、と私は考える。」
 プリーモ・レーヴィが鋭く指摘したドイツの状況は、現在の日本社会をも想起させるものがある。本書が、そのような状況を食い止める力となれば――そう願わずにはいられない。
 平和概念の再検討に関する私たちの現段階での結論、戦争遺跡をめぐる研究と教育の可能性については、本書の「特集」だけでなく、二つの「小特集」をも含め、全体を通じて提示した。本書を手がかりに、戦争と差別に関する抵抗の場、記憶の場に、まずは足を運んでいただきたい。 

君塚仁彦(東アジア教育文化研究シリーズ1編集委員長)

目次

特集 平和概念の再検討と戦争遺跡(現状と課題;東アジア教育文化学第一回フィールドワーク記録;東アジア教育文化アーカイブズ ほか)
小特集1 東京墨田の人権教育―東アジアにおける人権教育の可能性(皮なめしの町「木下川」から同和教育を考える;東京墨田における地域学習から―「荒川」と「木下川の皮革の仕事」;「産業・教育資料室きねがわ」にかかわって ほか)
小特集2 中国東北の教育文化(瑞甸書塾と間島における教育;「満洲国」における祝祭日の本質;東アジア教育文化研究・交流の検証)