児童虐待のポリティクス―「こころ」の問題から「社会」の問題へ

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  • サイズ B6判/ページ数 275p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784750322810
  • NDC分類 369.4
  • Cコード C0036

出版社内容情報

心の病としての児童虐待の議論やSOSキャッチ・通報奨励の政策によって見えにくくなった児童虐待問題に、社会経済的視点、ジェンダー・社会統制の側面から鋭く迫り、新しい児童虐待のポリティクスを構築する、新児童虐待論。

はじめに
第1章 児童相談所のディレンマ(山野 良一)
 はじめに
 家族に介入する児童相談所
 おわりに
第2章 児童虐待は「こころ」の問題か(山野 良一)
 「こころ」の問題としての児童虐待
 児童養護問題から児童虐待問題に
 現場とデータから見える家族の姿
 子どもや家族をめぐる社会福祉の貧困さ
第3章 児童虐待やネグレクトにおける社会環境的要因の役割(リーロイ・H・ペルトン/山野 良一訳)
 社会環境的な不平等と児童虐待やネグレクト
 貧困/低収入と児童虐待やネグレクトを媒介する要因
 児童虐待やネグレクトに対する予防的要因としての社会環境的なサポート
 結論
第3章補章 邦訳によせて(リーロイ・H・ペルトン/佐竹 文子訳)
第4章 ネグレクトとジェンダー――女親のシティズンシップという観点からの批判的考察(村田 泰子)
 女性による虐待とフェミニズム――フェミニズムは「女性による虐待」をどう扱うか
 ネグレクトの誕生
 ネグレクト概念の広範さ・曖昧さをめぐって
 虐待の心理主義的アプローチとジェンダー
 「女親のシティズンシップ」という観点から
 結語
第5章 要塞と緋文字――メーガン法をめぐって(美馬 達哉)
 はじめに
 性犯罪の再犯をめぐるいくつかの数字
 アメリカ合州国におけるメーガン法
 犯罪統制における国家の失敗
 要塞化するコミュニティとその不満
 おわりに
第6章 児童虐待の発見方法の変化――日本のケース(上野 加代子)
 「肉眼」による発見
 レントゲンによる発見
 相談とリスクによる発見
 おわりに

はじめに
 児童虐待とは何であろうか。
 それは、親をはじめとする年長者が子どもに暴力をふるう、必要な養育を与えない、さらには子どもを性的欲求充足の対象とする、といった行為レベルへの言及にとどまらないだろう。科学哲学のイアン・ハッキングは、(児童)「虐待運動は過去三〇年ほどの中で、もっとも重要な意識を高める動きであるということを、私はずっと言い続けてきた」として、「この概念が形成され、形づくられるに至った一連の過程」に着目している(イアン・ハッキング著・北沢格訳『記憶を書きかえる』早川書房、一九九八年)。
 日本でも児童虐待問題を扱った書籍・論文は、今日、かなりの数にのぼっている。その多くはハッキングのいう児童虐待の意識を高める運動がわが国で本格的に始まった一九九〇年代以降のものであって、虐待のトラウマの深刻さとそのケアの必要性を訴えた内容である。問題が家族の病巣にあるとする見方から、カウンセリングや家族療法を施し個人や家族関係を変化させることが虐待の連鎖を断ちきるのに必要であるという主張が導かれている。
 児童虐待という問題を社会に訴えるこの十数年の運動は、日本において子どもの時代のトラウマ因果論の思考様式を根づかせ、子ども観、家族観、そして人びとと国家との関係性について変更を迫るものであった。トラウマ因果論は、子ども時代に親からうけた心の傷という観点から、過去の自分の親子関係や自分自身を振り返ることを人びとに要請し、他方で、犯罪をはじめとする他の社会的問題や社会的な弊害の根源も過去に受けた児童虐待だとみなす。トラウマという解釈資源が広範に利用可能になることで、児童虐待は、第一義的には社会の側の問題ではなく、社会の予防的まなざしを必要とする家族の病として人びとに了解されることになる。そして、そのような虐待のサインを見逃さないための地域における発見・通報システムの構築が進められてきている。
 本書は、このような心の病としての児童虐待の議論やSOSキャッチ・通報奨励の政策によって、みえにくくなってしまった児童虐待問題の社会経済的側面、そしてジェンダーや社会統制の側面に焦点を当てる。
 日本が中流社会から階層化社会に移行しているといった議論が、ここ一〇年、学会やマスコミで相次いでいる。しかし、現在の日本には、少なく見積もって児童虐待問題の研究者や関係者が千人規模でいると推定できるが、児童虐待問題を今日の家族の経済背景との関連で仔細にみていく研究は非常に少ない。ジェンダーという視点、さらには児童虐待防止対策に企図されている新しい社会関係の様態という観点から批判的に考察する議論にいたっては、ほとんど見あたらないのが現状である。
 本書の第1章と第2章の著者である山野良一は、児童虐待問題と個々の家族の経済的条件との結びつきや、児童虐待問題が本格的に台頭したこの一〇年における児童相談所の家族への対応の変化を記述するなかで、児童虐待が社会問題化した時期と、経済格差が増大した時期とが一致しているのは偶然ではないとみている。山野は、メディアや児童虐待防止対策によって示されるカウンセリングで改善しうるこころの問題をもつ家族という問題イメージが、わが国でのこれまでの調査で明らかになっている児童虐待の家族の状況(収入・世帯類型・住居・親の学歴・職業・雇用形態)や山野自身が児童福祉の現場で出会ってきた家族と、食い違っていることを浮き彫りにしている。そして「児童虐待施策における保護者個人の責任性や『こころ』の問題への過度な焦点の当てかたは、こうした家族の社会経済的な困難さや社会的資源の不足の問題から、注意をそらす社会的装置にさえなり始めている」と警告する。各家庭の経済問題に手をつけず、児童虐待問題を改善するのは至難である。現行の対策を見直す視点といくつかの具体的方法は第1・2章に用意されている。
 ところで、このような児童虐待問題とされるものの背景にみえてくる家族の状況と、提供される心のケア・サービスのミスマッチは、児童虐待対策の先進国である米国では三〇年前から論議を呼んでいた。
 その議論の口火を切った一人、第3章の著者リーロイ・ペルトンは、家族病理としての児童虐待やトラウマの世代間継承など、医療・心理モデル一辺倒であった七〇年代に、「階層遍在説の神話myth of classlessness」と題する論文で議論を挑んだことで知られている。
 ペルトンは当時、ニュージャージー州のユース・家族サービス部局に勤務していたが、州の児童保護サービス機関の現場で起こっていた「児童虐待」とされる個々の家族の状況と、専門家やマスメディアが喧伝していたセラピーを要する個人や家族の病理というイメージの間に埋めようのないギャップがあることを実感していたという。米国で児童虐待やネグレクトという用語でくくられているケースの多くが物理的に劣悪な生活環境と結びついている。そのことは、当時の大規模な児童虐待の発生調査等においてすでに明らかであった。ペルトンは、カウンセラーとの治療的会話、親業のクラスや自助グループへの参加といった各々の家族や個人の努力を促す前に、住宅政策や失業対策などの社会政策の側から問題を抜本的に捉えなおすべきという主張をしたのである。
 本書の第3章は、この「階層遍在説の神話」を大幅に刷新しバージョンアップした論文の抄訳である。紙幅の制約からオリジナル論文の半分以下の分量になってしまったが、米国で個々の家族の経済的な困難と児童虐待やネグレクトとの関連性およびこの問題への物理的な援助の有効性を示す調査研究が実に豊富に存在していたことがここから窺える。
 なお、本書の刊行に際して寄せられた第3章補章では、最新の関連調査の知見が補足されるとともに、経済的困窮状態にある親子を「児童虐待」というラベルで非難し、間違った対策を所望し、直接的な経済援助を渋る人々の考えの根底に一体何があるのかが推考されている。またペルトンは、児童保護機関は、児童虐待を調査する権限を警察に委譲し、相談・サービスの提供機関に徹するべきだという改革案を描いている。
 第4章では、村田泰子が、その数と割合が近年増えてきているとされる「ネグレクト」についてフェミニズムの観点から論じている。児童虐待についてのフェミニズムの論考はドメスティック・バイオレンスに比べると少ないが、それでもネグレクトというカテゴリーの成立をめぐって優れた分析がなされている。米国では虐待の種別のなかではネグレクトがいちばん多く、情緒的なネグレクトなどは暗に母親を加害者として想定したカテゴリーであることから、ネグレクトはフェミニズム研究の格好のテーマであった。村田は論文のなかで海外の先行研究を簡潔に紹介しながら、日本におけるカタカナ文字のネグレクトの誕生の経緯を追い、さらにそこに「シティズンシップ」を交差させ論究している。
 ところで、フェミニズム研究がシティズンシップのテーマを扱う方法は二つに大別され、ひとつはフェミニズムが獲得すべきものとしてシティズンシップを扱う方法である。そこからは、成人男性を扶養者、女性を被扶養者とする家族が標準化され、女性が二流の市民にとどめられていたことに対し、ジェンダー平等に基づくシティズンシップを新しく構築し、社会において周辺化されていた人たちにも、シティズンとしての権利保障がなされるべきである、といった主張がなされることになる。もうひとつは、シティズンシップを統治や臣民といった言葉とつなげるやり方であり、本書の村田の議論はこちらに属する。「女性性とネグレクトのあいだの自然化されたつながり」を解き、望ましいシティズンのネガとして作用するネグレクトを明らかにする試みのなかで、村田はネグレクトを「統治上の諸目的を貫徹するための性ならびに階層にまつわるポリティクスとして捉える見方」を展開している。
 第5章「要塞と緋文字」では、最近、わが国でも顕著になってきた小児への性犯罪加害者をめぐる社会的反応を考えるうえで有効な視点がいくつか提供されている。筆者の美馬達哉は、奈良での女児誘拐殺人事件以降、マスメディアによって報じられてきた性犯罪再犯率「約四〇%」などの公的統計のからくりを解読し、米国の「メーガン法」(性犯罪の前科を有する者の居住地などの情報を地域住民に公開することで性犯罪の再犯予防を目指す法制度の総称)に関する論議をたどっている。そして、メーガン法であれ、日本で議論されていた性犯罪防止策であれ、それらを統計的に裏付けられうる「実態」とはかけ離れた、「飛躍のある」「誤った解決策」と見なすのではなく、その真の社会的役割や思想性を捉えなければならないとする。美馬は、メーガン法に、国家の犯罪統制の失敗、「個人の責任を強調するネオリベラリズムの興隆」と「ある種のコミュニティの強化と上昇」、そして「不安や恐怖を通じて個人のコミュニティへの帰属の感覚を高め」そこに働きかける新しい統治の顕現をみている。メーガン法自体は米国に特異な法制度であっても、「性犯罪の加害者という〈他者〉を緋文字で徴(しるし)付け、(潜在的)被害者である自分たちを要塞化したコミュニティのなかで守ろうとする」傾向は、いまの日本で容易に取り出すことができる。
 第6章では、上野が、虐待を受けている子どもや虐待を行う養育者の存在というものが、日本でどういう人たちによってどのようにみえてきたのか、というテーマを取り上げている。児童虐待という言葉を冠した法律や防止対策は戦前から存在しており、児童虐待が増加・凶悪化しているという言説も、幼少期の親子関係の質がその後の人生を規定するという子ども時代決定説も、明治の終わりからすでに散見されていた。この章では、児童虐待が「肉眼」で発見できると考えられていた明治末から戦前の時期、レントゲンや医学検査をしなければ発見が困難とされた一九七〇年代、リスクアセスメントなしには十全に突き止められないと考えるようになった九〇年代以降から今日までの、三つの時期を取り出してみている。すべての時期において、児童虐待がくっきりと見えてきた背景には、欧米諸国、特に米国の動向が強く意識されていたこと(「米国に遅れをとるな」)、さらには児童虐待とは何かというイメージや提唱された発見方法がこれらの時期によって相違しているにもかかわらず、戦前から今日に至るまで、児童虐待というの名のもとに経済困窮家庭からより多くの子どもが取り除かれるという変わることのない事実が認められている。ペルトンは米国で「児童虐待やネグレクトが強く貧困や低収入に結びついているという事実を超えるような、児童虐待やネグレクトに関する事実はひとつもない」(第3章)と言い切っている。日本も同じなのである。

上野 加代子

目次

第1章 児童相談所のディレンマ
第2章 児童虐待は「こころ」の問題か
第3章 児童虐待やネグレクトにおける社会環境的要因の役割
第3章補章 邦訳によせて
第4章 ネグレクトとジェンダー―女親のシティズンシップという観点からの批判的考察
第5章 要塞と緋文字―メーガン法をめぐって
第6章 児童虐待の発見方法の変化―日本のケース

著者等紹介

上野加代子[ウエノカヨコ]
徳島大学総合科学部教授

山野良一[ヤマノリョウイチ]
厚木児童相談所児童福祉司。米ワシントン大学大学院修士課程在学中

ペルトン,リーロイ・H.[ペルトン,リーロイH.][Peltom,Leroy H.]
米ネバダ大学ソーシャルワーク大学院教授

村田泰子[ムラタヤスコ]
京都大学文学研究科。日本学術振興会特別研究員

美馬達哉[ミマタツヤ]
京都大学医学研究科助手(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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セニー

1
常々「こころ」の問題とされている児童虐待。しかし本当の原因としては社会的、経済的貧困が底にある。それら貧困があるからこそ「こころ」の問題も誘発されるわけでこれをどうにかしない限り児童虐待の解決の糸口をつかむことはできないだろう2014/01/26

莱亞りう

0
虐待の原因論へのアプローチに必要な視点。因果が変われば介入も変わる。さて、穴はどこか。2012/04/20

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