明石ライブラリー
繋がりと排除の社会学

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  • サイズ A5判/ページ数 341p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784750322544
  • NDC分類 361.8
  • Cコード C0336

出版社内容情報

人が生きる上での根源的欲求「繋がり」を妨げる知や情緒=「日常的排除」に向き合い、それらを相対化する営みの一つの形の提示。ハンセン病、顔のあざ、在日、ひきこもり等、多様な領域を取り上げ「社会学的実践」を「普通」という呪縛から解き放つ学問的結実。

序章 日常的排除の現象学に向けて(好井裕明)
 1 日常的排除というテーマ
 2 「普通」の権力を考える
 3 「おびえ」「おそれ」という排除
 4 「繋がり」の模索、その可能性へ
第1章 いかにして「ふつう」の外見に駆り立てられるのか?――トランスジェンダーにおけるまなざしの力を例に(鶴田幸恵)
 1 はじめに
 2 「ふつう」の外見であることと「変」な外見であること
 3 他者のまなざしに促される「パス」の追求
 4 「ふつう」ではない/「変」だというまなざしの作用
 5 終わることのないパスという実践
 6 「十分/不十分」から「完全/不完全」へ
 7 おわりに
第2章 「クレイム申し立て」としてのインタビュー――顔にあざのある女性の「問題経験」をめぐる語りから(西倉実季)
 1 はじめに――不適切な語り?
 2 問題経験の語り――「ハンデ」としてのあざ
 3 否認される問題経験
 4 問題経験はいかに語られたか――インタビュー過程の検討
 5 おわりに
第3章 おびえる日本社会、凝固化する在日朝鮮人問題――あるビデオドキュメンタリーを素材とした“超・メディア社会学当事者”という境界の曖昧さ
 3 考察の対象
 4 当事者との同質性と異質性のバランス
 5 “ひきこもっている彼ら/ひきこもっていない私”という線引きの無効化
 6 当事者をサポートする立場で“現場”に居続ける難しさ
 7 おわりに――そして最初の問いへ
第7章 〈繋がり〉の再編――スティグマ論を起点として(宮内 洋)
 1 はじめに
 2 繋がらない個人
 3 〈繋がり〉のモデル
 4 〈繋がり〉の意志
 5 〈繋がり〉を促す存在
 6 おわりに
あとがき

日常的排除というテーマ
 普段、私たちは、さまざまな人々や現実を排除しながら暮らしている。こう言われれば、どう感じるだろうか。何を言っているのだ。私は、多くの社会問題に常にアンテナをはっているし、人権問題などにも感性が鋭い。排除や差別などは、やはりそうしたアンテナもなく、人権感覚に乏しい特定の人々が引き起こす問題だ。だから、普段の暮らしで日常的に排除が起こっていると言われても、すぐにはピンとこない。抗議とはいかないまでも、このような違和感を覚えるという声がすぐに聞こえてきそうである。
 でも、本論集のテーマは日常的排除なのである。日常的排除とは、いったいどのような営みをさすのだろうか。詳細に論じてもいいのだが、ここでは、いったい排除という現象をどこから考えようとしているのだろうか。この点について少し述べておきたい。
 まず言えるのは、人権、平等など私たちの生活や社会、世界のどこにでも一般的にあてはまるような抽象的で普遍的な理念から排除という現象を分析しようとするものではないことだ。
 そうではなく、日常的という言葉が象徴する、私たちのさまざまな普段の営みや常識的推論、あまり検討することなくそれに依存した術を意味あるものとして使用している私たちの実践のなかにある排除の様相である。
 こうした発想は、私自身、エスノメソドロジーという研究実践を自分なりに学ぶことをとおして実感してきたものであり、すでに言葉や形を変えて、何度も同じような主張をし続けてきている。より具体的に言えば、日常的排除の一端とは、私たちが普段、あたりまえのように使用してしまっているさまざまな社会的なカテゴリーにどのような意味が盛られ、意味の“適切さ”などを「いま、ここ」で点検することなくある人々や現実にあてはめて、それ以上向き合っている対象への志向が進んでいかない、つまり“わかったつもり”になっている状態や実践に組み込まれた様相なのである。
 たとえばアニメ「クレヨンしんちゃん」でギャグとして頻繁に登場するしんちゃんの「おかま」のしぐさを笑いながら承認してしまい、それをもとにして男性同性愛者や同性愛という現実、そこで生起するさまざまな問題に向き合おうとするとき、そこには同性愛者に対する限られたそして歪められた「理解」が生じてしまうのである。
 さらに、日常的排除とは、社会的なカテゴリーの使用という次元だけの問題ではない。社会問題の常識的面的にしか、捉えることにはならないのだろうか。問題が自らの日常生活にけっして降りてくることはなく、その意味で“他人ごと”であるにもかかわらず、問題への「同情」や「共感」「理解」する姿勢や語りだけが増殖することにならないのだろうか。
 身体的な暴力や言葉などを用いて、ある特定の存在や現実を鮮明に排除するのではない。あるカテゴリーで特定の存在を理解し、さらにその存在がどのように現実に生きているのかなどについて理解しようという志向や発想が、そこで断ち切れてしまうとすれば、なぜ、どのようにして、そうした日常的な社会問題「理解」が成立してしまうのだろうか。こうしたことを、私は日常的排除という現象として、読み解くべき重要な社会学のテーマだと考えているのである。
 日常的排除として、注目すべき人々の営みや語りは多様であり多層的と言える。ただその核心にあるのが、まさに日々刻々と変化している自らの恣意的な日常を、あたかも一定不変であるものとして、思い感じさせる力であり、自らの日常生活世界を「普通でない何か」「尋常ではない何か」から守ろうとする力であり、自分の世界へ侵入してこないように、そうした何かをなんとかして阻止しようと

目次

序章 日常的排除の現象学に向けて
第1章 いかにして「ふつう」の外見に駆り立てられるのか?―トランスジェンダーにおけるまなざしの力を例に
第2章 「クレイム申し立て」としてのインタビュー―顔にあざのある女性の「問題経験」をめぐる語りから
第3章 おびえる日本社会、凝固化する在日朝鮮人問題―あるビデオドキュメンタリーを素材とした“超・メディア社会学”の試み
第4章 宿泊拒否事件にみるハンセン病者排除の論理―『差別文書綴り』の内容分析から
第5章 スポーツする日常にある性差別―サーファー・コミュニティへのフィールドワークから
第6章 「ひきこもり」に関わる人々が“現場”に居続けるための実践
第7章 “繋がり”の再編―スティグマ論を起点として

著者等紹介

好井裕明[ヨシイヒロアキ]
筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。京都大学博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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ひろとん

0
おいおい、下書きか?研究者の現場における役割は何かを探るのが目的じゃなかったの?なんで最後にわからんけど、問い続けるぜ!で終わらせるの。。石川良子、少し血迷ったのかな。2017/09/06

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