明治大学人文科学研究所叢書
リベラル・アーツと大学の「自由化」―教養・専門課目の活性化をめぐる考察

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  • サイズ A5判/ページ数 357p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784750321042
  • NDC分類 377.15
  • Cコード C0037

出版社内容情報

実用に供することができない教養の学問から、問題への対処能力を培う実践の学問へ。
スポーツ、科学技術および日本の法学部、アメリカのメディア学部の考察を通して、リベラル・アーツの新しい位置づけを行い、大学教育の活性化への道を探る。

リベラル・アーツとしての「体育」「スポーツ」の位置と役割――その歴史的・思想史的検証(寺島善一)
 はじめに
 第一章 人間の教育と体育・スポーツ
  第一節 古代ギリシャの教育と体育・スポーツ
   第一項 スパルタの教育と体育・スポーツ
   第二項 アテナイの教育・スポーツ
   第三項 プラトンをはじめとする思想家たちの「体育・スポーツ思想」
   まとめ
  第二節 キリスト教と身体・体育――ローマ帝国時代からルネッサンスまで
   第一項 キリスト教と身体・体育
   第二項 ルネッサンスと身体・体育
   まとめ
  第三節 近世・近代の思想と体育・スポーツ――ピューリタニズムからアスレティシズムまで
   第一項 ピューリタニズムとスポーツ
   第二項 近世・近代の思想と体育・スポーツ
   まとめ
 第二章 英国のアスレティシズム――リベラル・アーツとしてのスポーツ教育の原型として
  第一節 アスレティシズムとは何か?
  第二節 パブリックスクールの改革とアスレティシズム
  第三節 パブリックスクールの「スポーツ」を通した教育――ラグビー校、イr>  2. 普遍的教養と多民族・多文化主義
  3. 流通する知識
 2 グローバル化とリベラル・アーツ教育
  4. グローバル化と地理教育
  5. グローバル化と多元的地球像
  6. 真理追究から問題対処へ
 3 科学技術とリベラル・アーツ教育
  7. リベラル・アーツ教育の課題としての科学技術
  8. 現代のソフトマシーン
  9. 科学・技術の推進とモラルの教育
  10. 科学技術と想像力
 4 IT革命とリベラル・アーツ教育
  11. 情報リテラシーの教育
  12. 「事実」幻想の受容と批判――インターネットとメディア教材の陥穽
 5 リベラル・アーツとしての言語教育
  13. SOASの日本語教育
  14. 英語支配の現状と異論
  15. 環境問題としての危機言語
  16. 多言語と多文化の楽園
 6 おわりに――大学の知識とは?
  17. 学力と教育
  18. 教師と学生のコミュニケーション
  19. まとめ――楽しい知識と抽象的な価値
ニュー・リベラル・アーツと「自由化」(越智道雄)
 第一章 教養概念の転換――サイエンスからアートへ  「ハイブリド科目」と「ハイブリド教師」の登場
  「ハイブリド化」の華「文化外交官」養成プログラム
  「ハイブリド教師」としての「日本事情(英語)」担当者
  学内および業界の圧力と闘えるメディア・カリキュラム
  「リベラル教育を受けたメディア・プロフェッショナル」
  インターンシップをめぐる大学と業界の綱引き
  諸科目を通底する「ストーリーテリング」の習得
  大学基準査定組織とカリキュラム闘争を展開した大学側
  リベラル化をめぐる査定機関との鍔迫り合い
 第三章 教養概念と高度管理社会
  ブルームの「コア・カリキュラム批判」と「これから先」
  「ザ・グレート・ミックス」vs「ザ・グレート・ブックス」
  「高等教育」の無力さを揶揄したベロウの『ハーツォグ』
  「数学的言語」をねじ伏せようとする「神聖言語」
  人文系知識人による「数学的言語」への隠喩的越境
  ブルームの「全体性」と学際的越境の「全体性」指向
  アンスロポロジー系科目に見る「越境」の例
  リベラル・アーツで成し遂げられなかった体育と他分野の統合
  学際化に代わるインターフェー

はじめに
 高度管理社会は、「数学的言語」を基礎にして「日進月歩」の展開ぶりを示している。その影響で、例えば経済学は「数理経済学」その他、事実上「数学言語化」した。哲学すら「数理哲学」が登場した。言語学や異文化コミュニケーションまで「数学言語化」している。
 リベラル・アーツは、自然科学部門以外だと、本来は「日常的言語」を基礎にしている領域が大半である。「日常的言語」も抽象概念を扱う機能は持っているのだが、この種の言語の機能は人間感情や現実の空間の概念を描く場合、初めてフルに発揮され得る。
 リベラル・アーツは、「場」の認識と「場」にどう裁きをつけるかという機能を鍛えるのが本来である。だからエリートの学問、リーダーシップ涵養の手段と見られてきた。ところが、もともと、大学でのリベラル・アーツは、「場」の認識力最低、「場」の裁き不能者の多い大学教師によって、「アート」ではなく「サイエンス」に模様替えされてきた。例えば、「論理的思考法」を教えるよりも、「論理学の体系」を教えることに腐心し、前者の機能を習得させるべき学生からそっぽを向かれてしまった。
 「場」の認識と「場」の処理方法が、時空で待ったなしに要求かの「新領土」が常に昼間なので「日の沈むことなし」と呼ばれた大英帝国では、それらの「新領土」を統治する先兵の養育に当たったパブリックスクールで課外スポーツに対しては他の学科を合わせたほどの時間が割かれてきた。パブリックスクールのアメリカ版、プレップスクールでも、初期には上流WASP層の経済活動や資産増殖の才能を刷り込んできたが、今ではあらゆる民族集団のエリートに同じことを刷り込む。ここでも、午後の時間割はほとんどスポーツに割かれる。そのことは、拙著『ワスプ(WASP)』(中公新書、一九九八年)に書いておいた。
 スポーツの他教科への応用は、ディベートだろう。「雄弁術」は話者が聴衆を引きつける技の鍛練が主体だが、ディベートは練達の話者同士の決闘である。
 戦闘のアーツだけを刷り込むのでは殺伐さだけが際立つだろう。「場」の処理に当たって、例えばオハイオでの敗北を自ら判断したジョン・F・ケリー候補がジョージ・W・ブッシュ候補に対して示した「コンセション」(勝敗の正式決定前の敗北容認と相手への祝福)の習慣のように、グッド・ルーザー(潔く敗北を認める者)は、グレーシャス(グレース〈美点〉がある)だとする「場」の処理不足を屈辱感とともに認識させ(恥をかける「場」は教育現場では不可欠である)、両者を懸命に深める必要を痛感させる。このサイクルを繰り返させるうちに、両者が深まりゆく過程で、彼らの中に思わぬ発見の才能が目覚める。思わぬ発見は、複数のサイエンスを「学際化」する場合に最も目覚め易い。「学際化」自体が、サイエンスとサイエンスを衝突させ合い、第三の学域を産み出すアートである。
 私はある大学院で「文化摩擦」という科目を教えているが、「文化摩擦」の対症療法の一つに、自国文化・歴史を当該外国語で教授できる学識・才能の涵養、および当該外国の文化・歴史の教授能力の涵養が考えられる。例えば、日本文化・歴史およびアメリカ文化・歴史の双方に通暁する人物の養成だ。
 この人物が、日系企業の進出先であるアメリカ都市に配置されれば、「文化外交官」として「文化摩擦」の軽減に役立てる。彼もしくは彼女が、今度は米系企業の進出先である日本の都市に配置されれば、対照的な角度から「文化摩擦」に対処できるだろう。
 この「学際化」は、四つのサイエンスを「学際化」のアートで連結したことになる。こういうやり方を、アメリカでは「自由化(リベラライジング)は、「ロー・スクール化」という、日本の法学部に起きた一種の「自由化」現象を、当事者の視点から考察していただく。
 浜口稔研究員には、理工学部のリベラル・アーツ教員としての立場から、テクノロジーのリベラル・アーツ的「動詞化」を考えていただく。
 私、越智道雄研究員は、文字通り「自由化」のアメリカの大学における展開をメディア学部に絞って考察、教養概念と高度管理社会の関係を突き詰めてみる。

越智道雄

目次

リベラル・アーツとしての「体育」「スポーツ」の位置と役割―その歴史的・思想史的検証(人間の教育と体育・スポーツ;英国のアスレティシズム―リベラル・アーツとしてのスポーツ教育の原型として ほか)
リベラル・アーツ教育の可能性(二〇〇四年・宙吊りになった法学部;歴史的回顧の中での大学における法学教育 ほか)
変貌するリベラル・アーツ―真理追究から問題対処の教育へ(はじめに―リベラル・アーツとは?;グローバル化とリベラル・アーツ教育 ほか)
ニュー・リベラル・アーツと「自由化」(教養概念の転換―サイエンスからアートへ;一九八〇年代のカリキュラム改革―アメリカのメディア学部を中心に ほか)

著者等紹介

越智道雄[オチミチオ]
1936年、愛媛県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得により退学。65年、玉川大学文学部英文科専任講師、69年、明治大学商学部専任講師、70年、同助教授、75年、同教授。専門は英語圏新世界諸国比較文化、アメリカ文化研究

寺島善一[テラシマゼンイチ]
1945年、愛知県生まれ。68年、東京教育大学体育学部卒業。名古屋学院大学専任講師を経て、74年、明治大学専任講師、79年、同助教授、84年、同教授。98年、St.Mary’s College(Surrey University:UK)客員教授。専門はスポーツ政策(英国)、スポーツ思想

土屋恵一郎[ツチヤケイイチロウ]
1946年、東京都生まれ。70年、明治大学法学部卒業。78年、同法学部専任助手。明治大学法科大学院教授、同法学部教授。専門は法哲学

浜口稔[ハマグチミノル]
1953年、沖縄県生まれ。琉球大学法文学部卒業。東京都立大学人文科学研究科修士課程修了。明治大学理工学部教授。専門は英語学、言語思想史
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