出版社内容情報
元朝日新聞記者・本多勝一氏の妹、節子さんの自伝。脳性マヒによる障害のある節子さんは68歳になったいまも、長野県飯田市の自宅で一人で暮らす。差別や偏見との闘い、施設での窮屈な暮らし、結婚・離婚などさまざまな体験がつづられた力強さあふれる作品。
はじめに
第一章 妹の死と、戦争と
私と晃子/ユキちゃのこと/七久保の祖母/そのころの私の家の生活/戦争末期/兄の入院
第二章 障害のある子もない子も一緒に遊んだ
小学校へ二年遅れで入学/戦争が終わった/運動会、そして三学期/二年生のころ、友だちとの遊び/三年生になって/飯田市の大火と殺人事件/私が障害を意識するまで/店の手伝いもする/初めて遠出をしたとき/近所の友だちのことなど
第三章 自立をめざして施設へ
絶望しつつも自立したいと思った/兄の就職と結婚/「青い芝の会」に入会する/職業訓練所に入る/身障者福祉センターでの自由のない生活/父母の死
第四章 私の人生は私が決める
結婚と離婚/カナダへの旅/「長野県青い芝の会」をつくる/さまざまな出会い/生まれて初めての入院で思ったこと/新しい家で自分らしく/介護保険は福祉の後退?
おわりに
妹について(本多勝一)
目次
第1章 妹の死と、戦争と(私と晃子;ユキちゃのこと ほか)
第2章 障害のある子もない子も一緒に遊んだ(小学校へ二年遅れで入学;戦争が終わった ほか)
第3章 自立をめざして施設へ(絶望しつつも自立したいと思った;兄の就職と結婚 ほか)
第4章 私の人生は私が決める(結婚と離婚;カナダへの旅 ほか)
著者等紹介
本多節子[ホンダセツコ]
1936年長野県下伊那郡大島村(現・松川町)で生まれる。脳性マヒによる身体障害があり、2年遅れで小学校へ入学。卒業後は実家が営む雑貨店の手伝いなどをしていたが、1人で生きていくための準備として、東京・小平の職業訓練所に1年入社したのち、長野県の身体障害者センターへ。だが、施設での生活に耐えきれず1年で退所。1970年結婚。73年離婚。73年より、実家での一人暮らしを始める。1975年には長野県に住む脳性マヒ者とともに「長野県青い芝の会」を発足させる。現在も、松川町で多くの人に支えられながら、一人暮らしを続けている。兄はジャーナリストの本多勝一氏
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