障害者が語る現代人の生きざま―あなたの“いのち”が世界をひらく

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障害者が語る現代人の生きざま―あなたの“いのち”が世界をひらく

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  • サイズ B6判/ページ数 251p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784750319964
  • NDC分類 369.27
  • Cコード C0036

出版社内容情報

幼いときに小児マヒにかかり、健常者からは障害者として、障害者からは軽度として差別されてきた著者が、そうした境遇だからこそ体得できた人生哲学に基づき、「あるがままのいのち」を尊重し、互いに人が助けあうシステムを構築することの重要さを綴る。

はじめに
第1章 いまの日本、どうなっているのか?
1 五体満足な自分を生きる「幸せ」と、いのちを生かし生かしあう「幸せ」/2 政治が悪いっていうけれど/3 天に向かって唾を吐く/4 いのちを生かして生きていますか?/5 戦後五〇年、日本は?日本人は?/6 オウム集団の出現と株式会社「日本」/7 沖縄の軍事基地と米軍/8 ブッシュ(藪)のやぶをつつくといまのアメリカが見えてくる/9 資本主義と社会主義/10 北朝鮮による「拉致被害事件」と「従軍慰安婦」について/11 不安をあおって他人を操ろうとすること/12 最近の日本/13 政治が変わらなくても社会は変わる?
第2章 人(いのち)の誕生をめぐって
1 五体「不満」族だらけの現代人/2 生命の誕生/3 生の営みの偶然で幸運な営み/4 種のゆくえ/5 遺伝子/6 人は生まれ変われるの?/7 本当の自分とは
第3章 自分が自分でなくなるとき
1 良い子と悪い子/2 不安の震源地は「五体満足」にある/3 ありのままの命の否定/4 自己否定の果ては?/5 プラス思考(肯定的選択)と、ありのままのいのちを肯定することの違い/6 障害者に対する表記について/7 高齢7章 「死んでもいいいのち」という例外
1 どうして他人を傷つけたり、他人のいのちを奪ってしまうのか?/2 私は、死んでもいい生命(いのち)という例外をもたない/3 死んでもいい「いのち」を認めるのか/4 〈私案〉刑罰の懲罰主義を、与えた損害に対する賠償主義に
第8章 これからの日本をあなたならどう生きる?
1 「五体満足を生きる」世界からの脱却/2 「いのちを生かし生かしあう」世界への出発点/3 あいさつは心の扉を開くシグナル/4 伊豆の山の自然の中で/5 自分の殻をやぶりたい/6 コミュニケーションの再生からコミュニティの再生へ/7 ケアを前提にした共同住宅を創ろうと考えている/8 難関を前に/9 阪神・淡路大震災で考えたこと/10 絵に描いたような現在の共済制度/11 介助をとおした人のネットワーク/12 ではどんなイメージの共同住宅を創るのか?
おわりに

はじめに(抜粋)
 私は、人が人として真価が問われるのは、「自分をどう生きてきたか」ではなく、“その人が与えられた「いのち」をどう生かし、他人(ひと)とのかかわりの中で、おたがいの「いのち」をどう生かしあって生きることができたのか”だと思います。もし、本当に閻魔大王がいるなら、「あなたは、自分のいのちをどこまで生かしきって生きてきたのか、また、他人(ひと)との間でもいのちをどれだけ生かしあって生きてきたのか」と問いつめることでしょう。人が「自分」か「いのち」かの、どちらをよりどころに生きていても、見た目には大した違いはないから、何も気づかない人も多いでしょう。ところが、違いはないように見えても、その中身はまったく異なったものになることを、私も体験しました。
 私の場合、生まれて一歳と四カ月のときに、小児マヒとも呼ばれる、神経マヒの症状を引き起こすポリオウイルスに感染し、左足の腰から下の神経マヒと発育不全が残り、左足が細い上、右足より五センチほど短く、最近は油断すると腰痛が持病のように飛び出してくる中で、軽度の障害者として生きて五七年。写植という仕事のかたわら、「モナリザの絵画展」で、公共の福祉のために障害る」と自分で決めて、「いのちを生かし生かしあう」生き方をしていけばいいと考えるようになりました。それが一九八五年七月のこと。そのときから早くも一九年という歳月が、私たちの目の前をあっという間にとおりすぎようとしています。
 この間の一九九九年には、遠藤滋氏の生活を追ったドキュメンタリー映画『えんとこ』が、彼の大学時代の友人の映画監督の手で完成し、上映会が日本各地で繰り広げられてきました。しかし、私たちはこの一九年の時間を無駄にしてきたのではないか、という思いがよぎっていた矢先の二〇〇二年四月、脳障害の日木流奈くんが『ひとが否定されないルール』(講談社、以下略)という本を書いたことを知りました。この本を二人で読み、彼が一二歳であることも私たちの間で話題になり、この本をきっかけに、あらためて私たちの思いをまとめてみようという話になりました。私は、「いのちを生かし生かしあう」意識で生きてきた、一九年になろうとする生活を通じて、自分の感覚に降りつもり、わきおこってきた思いや願いの数々を拾い集めて、折りにふれてワープロでメモしてきた文章に手を加え、書き直しをはじめました。
 しかし、ひととおり見直し、書き直しが終わチボールともいうべき、自分と他人(ひと)との間にわだかまりやいつわりをもたない、具体的な会話や行動に現れた心のやりとりなのだと私は思っています。
 現に私が、真正面に向きあった、うそいつわりのない本心からの自分と他人(ひと)とのやりとり(会話)にめぐり会えたとき、うれしいという心地良さを感じます。
 また、世に出る書籍としては、文体は「ですます調」「である調」を統一するのが慣例ですが、本書ではあえて私の頭の中に浮かんできた文章の語感(言葉から受ける感じ)にこだわって綴っています。今回の文章は、全体を私一人で書いていますが、そのつど、遠藤滋氏には目をとおしてもらい、意見も交わし、表現方法に彼の苦言はあっても、ほぼ二人が共感できる内容になっていると私は思っています。そんな私たちのたどった心の体験が、混沌とした社会の日常に歯がゆい思いを抱いていて、そこから抜け出したいと思っている人に出会えて、「いのちを生かし生かしあう」世界への心の扉を開くきっかけになれば幸いです。

内容説明

五体満足な五体「不満」族。それは誤解や思い込みからはじまった。気づいたときには、自分を“いい”と言えず、自分に誇りをもてず、自信を育む間もなく失っていた。人に依存して、けっして自分からはやろうとせずに、人の“せい”にして生きてきた。自分という殻の中にこもって、こころは自分の“いのち”に背いたまま。あいかわらず虚像を追いかけ、虚像に追いかけられている。こんなとき、あなたは…。

目次

第1章 いまの日本、どうなっているのか
第2章 人(いのち)の誕生をめぐって
第3章 自分が自分でなくなるとき
第4章 自律した自我が自分を取り戻す
第5章 生と死のはざまにある生きるということ―身近な死の経験から生と死について考える
第6章 新しい出会いの中で
第7章 「死んでもいいいのち」という例外
第8章 これからの日本をあなたならどう生きる?

著者等紹介

白砂巌[シラスナイワオ]
1947年山梨県生まれ。1歳4カ月のとき、ポリオによる小児マヒ後遺症で左下半身マヒとなる。1965年10月、左足足関節の固定手術を受ける。1971年12月~1985年ごろまで写植業を営む。1976年~1989年、島田事件・赤堀政夫氏の支援活動に参加。1990年4月、遠藤滋氏と西伊豆松崎町のみかん山を購入、9月から平坦地作りに入る。1991年8月、スイス国連人権委員会での袴田事件のアピールに参加し、ポルトガルに在住した東チモールの人びとの居住区、スペイン・ベンポスタ子ども共和国、オランダなどを訪問
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