政党内閣制の成立 一九一八~二七年

政党内閣制の成立 一九一八~二七年

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  • サイズ A5判/ページ数 346,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784641076884
  • NDC分類 312.1
  • Cコード C3031

出版社内容情報

原 敬政友会内閣成立から民政党結成まで、政党勢力と元老・宮中の相互作用を軸に分析・考察する。

内容説明

政党政治に否定的であった明治立憲制の下で、一九二四年から三二年にかけて政党内閣が相次いで成立し、さらに一九二七年に立憲民政党が結成されてからは、立憲政友会と民政党という二大政党の間で政権交代がなされた。そうした政党内閣の成立や政党間での政権交代は、なにゆえに実現し、どのような意味をもっていたのか。それは、戦前日本における政党政治の一つの到達点ではなかったか。一九一八年の原敬政友会内閣成立から二七年の民政党結成まで、政権の新たな担い手となる政党勢力と、首相を選定していた元老・宮中との相互作用を軸に分析・考察し、その現代的意義を問う。

目次

第1章 原内閣と憲政会―戦後における新旧の相克(一九一八~二一年)(元老たちの戦後―原敬という選択;原政友会の戦後―「情意投合」路線上の安定と強化;加藤憲政会の戦後―再生への始動;高橋内閣という選択)
第2章 原以後の試行錯誤―転換期における首相選定(一九二一~二四年)(高橋内閣と「憲政常道」論の高まり―多数党型政党内閣制への志向;加藤友三郎内閣と「情意投合」―日本型議院内閣制への志向;第二次山本権兵衛内閣と「挙国一致」―「挙国一致」内閣への志向;清浦内閣の成立―貴族院選挙管理内閣)
第3章 一九二四年憲政危機と西園寺公望―二つのオーバーライド(一九二四年)(西園寺公望の政治的人格―文明、世界、そして日本;第二次護憲運動―第一のオーバーライド;清浦内閣の総辞職―第二のオーバーライド;加藤高明の選定と意義―帰結)
第4章 憲政会の体制内化―政党内閣制の契機(一九二四~二五年)(一九二四年危機の克服過程(克服への体制整備;憲政会のセカンド・テスト)
第二次加藤内閣という選択―憲政会の体制内化)
第5章 政党内閣制の成立―元老以後の国家像を求めて(一九二五~二七年)(三党鼎立下の政党政治―加藤から若槻へ;初の男子普通選挙をめぐる内閣論の対立;田中義一内閣という選択―政党内閣制の成立と二大政党化;西園寺公望と政党内閣制)

著者等紹介

村井良太[ムライリョウタ]
1972年香川県に生まれる。1995年神戸大学法学部卒業。2002年神戸大学大学院法学研究科博士課程修了、日本学術振興会特別研究員を経て、駒沢大学法学部講師、博士(政治学)。専攻は日本政治史
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感想・レビュー

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バルジ

3
現在の日本政治史研究の基本的な研究書。政党内閣の成立を①原政友会の安定した統治②統治政党としての憲政会の成熟③元老西園寺公望、3者に求め彼ら統治改革構想が絶妙なバランスで折り重なった時、政党内閣が政権交代を伴う制度として定着したと論じる。原内閣は政党内閣制を否定した政党内閣(政友会・非選出勢力による政権交代)という逆説から、この内閣の安定した国家統治が政党内閣への統治能力の信頼を高めたというのは面白い指摘。「反動的な」山県閥政治家と見られた平田東助や清浦奎吾の政党政治を是認する姿勢もまた面白い。2020/03/15

Naoya Sugitani

0
政党内閣研究は2000年代に急速に進展したが、その金字塔的研究となる一冊。西園寺、憲政会に焦点を当てて政党内閣制確立の要因を描く。2017/07/16

denken

0
元老が首相を選んでいた。元老はどんどん年老いて死んでいく。ではこれから先,誰が首相を選べば良いのか。原敬の情意投合。政友会,加藤高明,それぞれの「憲政の常道」論。そして何より最後の元老,西園寺公望の思考が描写されてゆく。政党内閣制という言葉にしても,異なるシステムのもとに使われると,似て非なるものなんだなって思いました。2011/01/13

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