内容説明
足利義満の評価はさまざまである。当時は最大の権力者として「鹿苑天皇(太上天皇)」などと呼ばれたりしており、一方では明皇帝とのあいだに「臣従関係」(冊封関係)を結んだりして、当時の知識人から批判を受けている。現在も義満は天皇位を簒奪しようとしたのではないかとみなす研究者もおり、かまびすしい。ここでは、公武権力の頂点をきわめていく義満の行動を中心に、多少の評価を交えながら、その実像に迫っていきたい。
目次
「悪役」と「光源氏」
1 武門・武人の掌握
2 軸足を武家から公家へ
3 王権への挑戦
4 伝統的外交慣習の打破
5 北山殿の夢と死
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ohmi_jin
2
こちらは足利義満の王権簒奪説を採る人。しかし最新の学説ではほぼ否定されたのではなかったでしたっけ?2019/12/06
rbyawa
0
g064、まあだいたい誰でも知っているのが金閣寺を作ったという辺り、足利三代という辺り、というか、知ってるのが初代尊氏、三代義満くらいという人も多いんじゃないのかな。そして足利政権の最盛期にして、その死後に下り坂になったという人物であり、そもそも南北朝の動乱を経てこの人の時代にようやっと治世が完成したという説明にもなっています。要するに義満の時代しか万全の状態とは言いがたいって認識でいいのかなぁ…。それと室町末期をいくら読んでもわからなかった三管領などもこの時代に成立、やっぱり畠山がよくわからないけどね!2016/07/08
そーすけ
0
206*金閣寺見学記念に。ほとんど関係のない本だったが(笑)。評価の定まらない足利義満。皇国史観に立つ人びとからは、酷評されているらしい。そうか、世阿弥は義満の稚児だったのか。2018/09/10