内容説明
中世人からの「戦争と平和」のメッセージ。前近代戦を決するのは、軍事力と祈祷力であった。この祈祷力を担うのはもちろん、宗教者。十三世紀の蒙古襲来の時代、この祈祷をめぐり三つの歴史絵巻が世を彩った。一つは、天皇と武家の両王権を結んだ西大寺流(叡尊と忍性)による異国調伏の祈祷絵巻。二つは、両王権からも疎んじられてなお多弁に説き続けた日蓮の予言絵巻。三つは、全ての権力も超越し、貝の如く口を閉ざして乱舞した一遍の踊念仏絵巻。
目次
日本人と蒙古襲来
1 二人の歴史環境―中世国家と宗教
2 神祇との出会い―受容と変容
3 仏国土の構築―法華と念仏
4 二つの蒙古襲来―列島の北と南から
仏教の世俗化の果てにみた夢
著者等紹介
佐々木馨[ササキカオル]
1946年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程中退。専攻、日本中世思想史。現在、北海道教育大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
がんぞ
2
鎌倉仏教4祖のうち日蓮だけが関東出身/当時は朝廷と幕府の二重支配で、幕府に「念仏を禁じること」を求め弟子旦那を拡大、十年後蒙古からの牒状で「予言的中」と騒いだことで、朝廷の外交権奪取の一味ではないかと疑われて?迫害された/晩年は真言宗を主敵として膨大な文書や「紙幅文字曼荼羅」を残している。後醍醐帝の権力奪取の理論的背景/天台宗(比叡山=「山門派」三諦の教義を縦横3画の山王で表す/スラムダンク主人公関東チーム決勝の対戦相手が山王であったことは興味深い//一遍は踊り念仏。勇躍歓喜で物足りない人々は引導を求めた
rbyawa
1
g128、一遍は浄土信仰系の異端(とはいえ、本当に異端かな? という向きもあるようですが)、日蓮は比叡山延暦寺の天台宗の所属で、まず浄土信仰への批判から始めたという認識でいいのかな。後に独立。どちらも鎌倉時代末期の動乱期を生き、体制からは距離を取っていて庶民には近い。正直なところ属するところは違うながら確かに行動にそれほどの違いがあったとも言えないか、しばしば思想部分の言及でどちらのものかがわからない部分があったものの、まとめられてみるとまあまあ納得。動乱の時代が生んだ行動者って見るのが妥当なところかな。2016/12/21
悠里
0
・神祗信仰のエッセンス ・武家的体制(禅密主義)と公家的体制(顕密主義)のふたつの宗教的正当性 ・北からの蒙古襲来 ・一遍の阿弥陀世界 は知識として為になりました。 一遍の阿弥陀世界と日蓮の法華世界として対比されると、違いを感じなくなるが…日蓮の徹底した経文引用に対するものが一遍にあるとは思えず。 また日蓮が初期に天台密教を認めているという主張は納得できず。 二人の聖人が中性的平和を希求した鎌倉時代唯二の思想家という主張には感服します。 それこそ思想の目指すべき価値だと思います2014/11/02
ユウヤ
0
一遍と蒙古襲来と言われてもピンとこないかもしれない。古代以来の神祗信仰を核にした体制宗教に対して、反体制の日蓮、超体制の一遍という理解をまず確認したい。さらに一遍遊行地の特徴から、彼が南北の蒙古襲来の地を避けた理由を考える。元御家人であった一遍は戦争の悲惨さを人一倍知っていた。それゆえに「狂人」のように踊り狂わずにはいられなかったのである。このようにして克服された一遍の中世的平和が真っ直ぐに伝わってくる。時衆教団がその後、陣僧や同朋衆として支持されたこと、念仏踊りが盆踊りとして定着したことも押さえたい。2013/10/03
ohmi_jin
0
日蓮の中の神祇、一遍の中の神祇、それぞれの考え方が分かって良かった。できれば、何故天台宗と鎌倉幕府が敵対していたかを解説して欲しかった。2011/02/07