内容説明
「対馬」という少し風変わりな島の名は、日本から朝鮮半島へ渡る際に津=停泊地となる島(津島)だったことに由来するとも、朝鮮半島の馬韓に相対する位置にあったことからきているともいわれる。対馬は古くから九州北部と朝鮮半島との交易にかかわってきた。前近代の日本と朝鮮半島の関係史のうえで、それは常に無視できない存在であった。本書では、中近世の日朝関係が展開するなかで対馬がおかれた位置、また対馬自身がどのように自己を位置づけようとしたかについてみていくことにしたい。
目次
対馬の位置
1 中世の対馬と高麗・朝鮮
2 近世初期の日朝関係と対馬
3 「鎖国」と近世的日朝関係
4 藩と貿易の体制
5 藩政の推移と矛盾
近世的日朝関係の終焉―おわりにかえて
著者等紹介
鶴田啓[ツルタケイ]
1958年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。専攻、日本近世史、近世対外関係史。東京大学史科編纂所教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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sovereigncountr
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本書は、対馬を中心として近世期の日朝外交を概観した書籍である。近世後期には朝鮮貿易の採算が取れなくなっていったという点は、対馬藩の性質を理解する上で重要。2024/02/20
rbyawa
0
h011、対馬と言われても交易や外交関係でたまに聞くという程度でいまいちピンと来ていなかったが、どうも北九州の鴻臚館や大宰府が衰退したのちに、博多などを拠点にして大陸や半島との交易を行っていた一族(ずっと同じ家というわけでもないもののノウハウなどは継いでいそう)がいた土地、と言われるとなんとなく納得。実際に近世の頃には豊臣秀吉やら徳川家康の意を受けての外交の中継ぎをしているものの、諸事情にて手紙の表記等の改変をちょいちょいと行っていた、などという話も。そういやそこに関しては学校で聞いた覚えがあったかも…。2017/01/22
Atsushi Kitamura
0
鎌倉期から明治維新まで、宗家が対馬支配を確立する過程から、倭寇の時代、秀吉の朝鮮出兵、江戸幕府による国交回復、対馬藩の消滅までを簡潔に記されています。江戸時代初期の交易が盛んな時代から、年々貿易がジリ貧になっていくなかで、幕府に補助金をせびる姿が、今の沖縄の問題や原発の誘致に似ているよねぇ。また輸出品目を見ると、日本が資源大国であったことがよくわかります。 2014/02/05
S
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近世メインだけど15ページくらいは中世のことも。表が多くて好き。2013/05/15