内容説明
中世は仏教の時代と考えられてきました。日本の土着の神たちは仏教の仏たちのもとでひっそりと息を潜めて、せいぜい神仏習合という不純で不本意な形態を取らされていたというのです。しかし、神仏習合はそのように否定されるべき形態なのでしょうか。そこには、従来常識とされてきた日本宗教のあり方とはまったく異なる雄大で自由な想像力が羽ばたき、合理主義に束縛された近代人の思いも及ばない世界が展開しているのです。本書では近年急速に研究が進められている中世神道論の動向を描き出しながら忘れられていた日本の宗教の原像を解明していきます。
目次
日本宗教の解明へ向けて
1 神道の形成と神仏習合(日本的な宗教形態としての神仏習合;神道とはなにか ほか)
2 山王をめぐる神道説(山王の神;本地垂迹理論の形成 ほか)
3 伊勢をめぐる神道説(伊勢神宮と中世神道;伊勢神道の形成 ほか)
4 神道理論の体系化(両部神道と伊勢神道の体系化;神話から歴史へ―北畠親房 ほか)
著者等紹介
末木文美士[スエキフミヒコ]
1949年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。専攻、仏教学・日本仏教史。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授
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感想・レビュー
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mk
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一般に神仏習合の時代といわれる中世社会だが、その実態は曖昧模糊として捉えづらい。本書は、中世仏教思想史の重鎮による神仏「融合」の時代=中世への招待の書として、天台密教や修験者、伊勢神官といった多種多様な人びとの解釈を発端に成形されていった「神道」理論の内実を紹介する。日吉山王神道、伊勢神道、両部神道といった代表的教派のテクスト自体、粗雑な要約を許すような生半可な対象ではもとよりないが、神道理論形成の歴史具体的経過に踏み込んだその内容は、全体で100頁足らずの分量を感じさせない密度をもっている。2017/02/22
rbyawa
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f226、大雑把に神仏習合についての本ではあるものの、そもそも「神道」そのものが仏教が日本に到達してのちその理論の枠組みを借りつつ成立したものであって、それ以前を神祇信仰と呼ぶのが妥当かなぁ、等のだいぶ曖昧な内容になってますが著者さんが悪いんじゃないなこれww そしてまあ、明治になって廃仏毀釈によって無理に分離したのでルーツが探りにくくなってるけども、よく成立を思い出してみれば、そもそも完全に分離することが不可能だって現実を認めるべきだよね、というのが結論じゃないかと。というか、宗教混沌って魅力的だよね。2015/10/28
うえ
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(神道ナショナリズムを)「黒田俊雄は「多くの人は民族宗教という規定から日本人にとって不可避な、選択の余地のない、深層に潜む規制力ないし価値という意味合いを受け取って」いると的確に述べている」「早い時期に神仏が争った例としては、仏教伝来時の蘇我と物部の争いがほとんど唯一の例である」2014/02/01
吃逆堂
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半日読み切りサイズ。中世人が神仏をどのように受容したか、という話かと思いきや、そうではなく神仏習合の教義的な話。やや分かりづらい上、尻切れトンボの感。2010/07/10
hr
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伊勢神宮の箇所を拾い読み。2019/12/22