内容説明
親鸞(一一七三~一二六二)浄土真宗の開祖。法然の専修念仏に帰依し、弾圧に抗して、独自の信仰と思想を展開させた、日本で最も親しまれている仏教者。本書では通説を批判しながら、『教行信証』などに見える思想とその人物像を新しい目で解明する。
目次
第1章 親鸞と鎌倉仏教
第2章 若き親鸞
第3章 思想の成熟
第4章 晩年の親鸞
第5章 伝承と物語の形成
終章 親鸞をどう読み直すか
著者等紹介
末木文美士[スエキフミヒコ]
1949年、山梨県生まれ。1978年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学・国際日本文化研究センター名誉教授。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nbhd
12
ガチゴリの学術書なので難しいけど、最新の史実調査や研究が網羅されてて信頼度高い親鸞本。親鸞ラヴァーを大別すると、親鸞さんオリジナルの「教行信証」派と、門徒唯円が著した「歎異抄」派に分けることができる。無理矢理にマルクスを持ち出してイキフンで理解に努めると、教行信証(=資本論)は考え方の根本を問うた〈原理の本〉で、歎異抄(=共産党宣言)は考え方をもとにあるべき行動を示した〈実践・普及の本〉と言える。著者は教行信証派で、近代に再発見された門徒の書である歎異抄は、親鸞さん周辺を知る二次資料だと位置づけている。2016/07/24
アンパッサン
2
読了に時間かかった。親鸞は歎異抄、と思いがちなのは近代の思想家たちの思うところを支える何かがあったからか。でもそうじゃない。親鸞も当時の世界と折り合いをつけようとしてた。悪人正機だっ、実は厳格なものだ。親鸞は教行信証がやっぱ大事。それとくだけた御詠歌のような和讃。 一読者としては菩薩の思想のあたりがドストライクだった。他者との関わりがあってこその菩薩。やっぱ人と関わらないとと再確認。阿弥陀のシステム(信仰者の加減とかは私には関係なく救うように動きます)も、何度か唱えた念仏のおかげで、おそらく私も浄土に。2019/07/09
Splash
2
私の中では、五木寛之の小説が親鸞のイメージを作っているので、人間味にあふれ、包容力があり、悩みながらも信念を貫き、法然の説をさらに進め念仏による救済を説く浄土真宗を興した人なのだが、歴史的・客観的に見ると、鎌倉時代の庶民の貧しい暮らし、自然災害、末法思想といった背景の中で、わかりやすく救いの途を示すことへの強いニーズがあったことがわかる。2016/08/26
非実在の構想
1
語る人ごとの親鸞像の違いが俯瞰できて面白い2020/10/08
俊介
0
決して読みやすく書かれてはいないが、とても示唆に富む本だったと思う。親鸞といえばどちらかと言うと「人間親鸞」に注目されがちだと思うけど、本書は、中世という時代の中に生きた宗教理論家としての親鸞を追う。そしてその事績がどのように、どういう意図を持って後世に伝えられたを明らかにしていくのだが、それによって、通常語られがちな親鸞のイメージを問い直す。そしてさらにそのことで、浄土真宗の教理自体を問い直すことにも繋げる。他力や悪人といった基本タームをより深く読み解くことで、より深い信仰への可能性が開かれるだろう。2018/12/30