“生政治”の哲学

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  • サイズ B6判/ページ数 339,
  • 商品コード 9784623057023
  • NDC分類 311.1
  • Cコード C3010

内容説明

「死なせて、生きるに任せる」から「生かして、死へと廃棄する」権力へ―一九七〇年代、フーコーによってあらためて世に問われた新しい権力・政治の形態、“生政治”。昨今、思想界を賑わせている“生政治”や“生権力”概念とはいかなるものか。フーコー、アレント、ネグリ、アガンベンらの検討を経て、これら概念の変遷と、現代における浸潤の意味、さらにその思想的・社会的な根拠を論じる。

目次

序章 “生政治”の方へ(仮象の起源;パラ・生政治学;生・倫理学)
第1章 “生政治”の浸潤(フーコー―人口の制御;アレント―活動の輝き)
第2章 “生政治”の展開(ネグリ―生産の中の生;アガンベン―ゾーエーの閾)
第3章 “生政治”の現在(ポリツァイの“肉”との接触;反自然主義の“統治性”)

著者等紹介

金森修[カナモリオサム]
1954年札幌生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、博士(哲学・パリ第一大学)。筑波大学講師、東京水産大学助教授などを経て、東京大学大学院教育学研究科教授。専門はフランス哲学、科学思想史、生命倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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hakootoko

6
フーコーの統治性に興味を持ったので読んだ。統治性に発展する前の、生権力=生かす権力という方は忘れていたけど、後者に関していろんなことがあるのだなと思った。延命によって生きながらえるsurvivre。だから、すでに死の最終審級は自然ではない。選択することが死の条件となりつつある。連日、熱中症で亡くなられている報道があるが、エアコンという補助具で生きている。本書では、生権力と関連付けられるが、以下二冊は統治性の本として、アレント『人間の条件』、難しそうだけれど、アガンベン『王国と統治』を読んでみようと思った。2020/08/23

Mealla0v0

2
フーコー=ドゥルーズという流れではなく、フーコー=アガンベンという流れにおいて生政治を捉えようとしているのが本書。したがって、収容所の生政治を論じるアガンベンに、彼が参照するアレント(ついでにネグリ)が検討されている。アレントの活動力の区別(労働・仕事・活動)をゾーエー/ビオスの視座から理解することで、アレントを生政治の方へと引きつけているのは面白い読解。また、金森はゾーエーを相当に重視しているが、他方で自然主義を拒絶している。それゆえ、ゾーエーからビオスを捉え直すことを可能にする。この点は非常に重要。2018/08/05

Mealla0v0

2
生権力・生政治の議論について、本書では4人の論者を扱う。フーコー、アレント、ネグリ、アガンベン。意外に思われるかもしれないが、ドゥルーズではなくアレントである。彼女の労働/仕事/活動という分類が、生の区分けだと言うのだ。▼本書の特徴は、生物学と政治学の関係を論じた言説をフーコーの生政治学と比較し、フーコーの系譜の有意性を論証していく点にも求められよう。それは反自然主義という言葉に結実しているが、なかなかに興味深い。▼この本では主張めいたものは鳴りを潜めているが、生政治の問題圏を様々に提示している点も有意。2017/01/23

レートー・タト

2
生政治・生権力の概念史について、主にフーコー、アレント、アガンベン、ネグリと多岐にわたって、かなり解りやすくまとめられている。概念としての生政治・生権力の生成過程について、諸テクストごとの種別性をかなりはっきりとさせる仕方によって分析しているのが特徴的で、その重要さを痛感させられた。既に扱われている人たちの専門書を読んでいるから、と言わずに、思考の整理及び原点に立ち返る意味でも読んでみるべき貴重な本といえる。2010/11/11

ひーくん

0
現代の政治が声を持てないゾーエーを作り出そうにも,不可避的にゾーエーそれ自体が多様な様相を示してしまうという偶然性.根無し草な人間存在からは統治実践の根拠を導き出せないという彼の犀利な眼差しに,僕はゾーエーのビオス化の契機をはっきりと見た2016/04/23

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