出版社内容情報
全国を回り生身の身体を晒した近代天皇制の〈視覚的支配〉。補論「「国体」の視覚化」「戦中期の〈時間支配〉」を加える主著完全版。
内容説明
「天皇の身体の交代は支配そのものの重大な転換を伴った」―全国各地をまわり生身の身体をさらした三代の天皇を追う。
目次
1 序論
2 明治初期の巡幸
3 明治後期の行幸と巡啓
4 大正期の行幸と巡啓
5 昭和初期の巡幸と行幸
6 結論
著者等紹介
原武史[ハラタケシ]
1962年、東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社、東京社会部記者として昭和天皇の最晩年を取材。東京大学大学院博士課程中退、東京大学社会科学研究所助手、山梨学院大学助教授、明治学院大学助教授を経て、同大学国際学部教授、同付属研究所所長。専攻は日本政治思想史。著書に『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ1998、サントリー学芸賞受賞)、『大正天皇』(朝日選書2000、毎日出版文化賞受賞)、『昭和天皇』(岩波新書2008、司馬遼太郎賞受賞)、『滝山コミューン1974』(講談社2007、講談社ノンフィクション賞受賞、講談社文庫2010)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きいち
14
圧倒的な量の事実を積み重ね、これまでの理屈をねじふせていく、まさにチカラ技。ほれぼれする。数々の日記、地方紙の記事たちが、著者の頭の中の地図にプロットされて新たな形を描いていったのだろう、そんなイメージに、なんというかとても、勇気づけられる気がする。◇肉声の存在をはじめとした大正期の人間臭さは昭和になって鳴りを潜め、「一君万民」の大イベントが成立していく。「皆で心を一つに」している感覚がもたらすキモチヨサが、世の中を変質させていく。げげ、多数派のこの姿、今の学校や企業の儀式と変わらんやん、気持ち悪い…2013/06/01
Toska
8
明治・大正・昭和三天皇(皇太子時代含む)が国内各地を訪れることで、近代日本は「視覚的支配」のネットワークに取り込まれた。そのプロセスを丹念に追った労作。使用される乗り物の変化に着目したのは慧眼で、馬車や人力車から鉄道に変わった後は天皇自身にも旅のスケジュールが変えられない。結果、行幸・巡幸は彼らの意思を直接的に反映しない固有のシステムになった。2023/09/29
壱萬弐仟縁
7
2001年初出。天皇の行動については、現代ならテレビでお言葉があると触れる機会がある。明治~昭和初期までの記録史料を豊富に活用した専門書。多木浩二、吉見俊哉各氏らの先行研究が紹介される(10ページ)。研究書。123ページなどで岩波文庫にもあるベルツの日記に皇太子が書かれていると紹介されている。1907年当時の皇太子夫妻は西洋風な感じのお姿だった模様。皇室ネタは正直、全く関心がないが、新刊コーナーにあったので、出版社がよいために借りたが、内容が難しく、今の私では理解できないか。2013/02/18
こざる
4
高尾なんてところに住んでいると、皇室の「ふしぎなちから」を今も日常的に目にする。近所の慰霊施設の階段がきれいになったと思ったら天皇皇后の行幸啓があったり(ご丁寧に碑も建った)、その前の道だけが突然改修されたと思ったら今度は皇太子だったり、と。その裏山には戦時中、朝鮮人に掘らせた地下壕が眠っていることを思うと、皇族の「身体」が今もこのあたりを頻繁に往来している事実に、多摩御陵を中心とした霊園銀座だから、では済まされない何かを想起してしまう▼皇族の身体を媒介とした「国体」の可視化は形を変えつつまだまだ健在だ。2012/11/01
キミ兄
2
明治大正昭和と天皇・皇太子の行幸の詳細が淡々と記されている。そこには何の物語もないが著者にとっては集大成ともいえる内容なんだろうな。細かいところに歴史の真実があるんだろうけど残念ながら自分の忍耐力ではそこまで読み取れなかった。☆☆。2020/12/13