自然と権力―環境の世界史

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  • サイズ A5判/ページ数 480,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622076698
  • NDC分類 519.2
  • Cコード C1010

出版社内容情報

原子力、気候変動、食の不安、生殖テクノロジー…。現在、いたるところで環境が政治の課題となり、人間の自然との関わりが権力の行使と結びついている。本書は多様な地域と時代をめぐり、それらの諸結合の過程を緻密に描き出す。環境への眼差を一新する新しい環境史の試み。日本についての環境史論稿を含む。ドイツ屈指の環境学者の主著、待望の邦訳。

内容説明

環境をめぐって作動する「権力」の歴史的様態を描出し、政策への示唆にも満ちた傑作。史料批判と旅の経験の融合から生まれた、新たな環境史の試み。ドイツ屈指の環境史家の主著、待望の邦訳。

目次

第1章 環境史を熟考する
第2章 自給自足と暗黙知の生態学―人間と自然の原初的共生関係
第3章 水、森林、権力
第4章 環境史における分水嶺としてのコロニアリズム
第5章 自然の限界にて
第6章 グローバル化の迷宮のなかで
終章 政治的議論における環境史の役割

著者等紹介

ラートカウ,ヨアヒム[ラートカウ,ヨアヒム][Radkau,Joachim]
1943‐。ドイツの歴史家。ミュンスター、ベルリン自由大学、ハンブルクの各大学で歴史学を修める。著名なドイツ近現代史家フリッツ・フィッシャー(ハンブルク)のもとで1970年に博士号取得。1974年に当時の勤務校ヴェストファーレン=リッペ教育単科大学で、1981年にビーレフェルト大学で教授資格を取得。1980年からビーレフェルト大学歴史・哲学・神学部教授(2009年に定年退官)

海老根剛[エビネタケシ]
1971年東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。大阪市立大学大学院文学研究科表現文化学専修准教授。専門は20世紀ドイツ文化研究・映像論

森田直子[モリタナオコ]
1971年岡山県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学、ドイツ・ビーレフェルト大学歴史・哲学・神学部で博士号取得。立正大学兼任講師。専門はドイツ近代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

9
2000年初出。G・ハーディンの「共有地の悲劇」(1968年)も取り上げられる(106頁)。利己主義が資源を守れるとはおかしな話で、その後E・オストロムがこの理論は誤謬だとしてノーベル経済学賞を受賞したのはよかった。共有地の悲劇を日本の領土全体の悲劇と考えたら、放射能汚染から逃れられないならば、悲劇で片づけられるだろうか? 毛沢東の棚田造成運動なるものは初めて知った(144頁上段)。中国南部のようだが、ここは河川氾濫と埋没リスクもある(153頁下段)。クレタ島の景観、ブータンの社会林業など多彩な話題満載。2014/01/28

人生ゴルディアス

3
恐ろしいほど時間がかかった。難解というより、トピックが多い。おそらく根本の哲学としては、自然という概念が一意的に定義されたことは無く、それというのも自然というのが人間個人との関係によってある程度把握・知覚・構築されるものである、というところだろうか。生と関連するゆえ「環境意識はほとんど健康意識」という指摘や、「エコロジーとエコノミーは対立せず収斂する」という主張が導かれるのだろう。そしておそらくそれは正しい。脳内お花畑の左派によるものではなく、冷徹な歴史家による環境論。原子力のところも忌避感なく読めた。2021/03/18

生きることが苦手なフレンズ

2
考えさせる本でした。ラディカルな環境保護論者でも、エコ楽観論者でもない立場から、環境と政治、経済の関わりを、中世ヨーロッパ、インド、中国から現代までの様々な問題を扱ったもので、評論なのですが下手な小説より場景が浮かび、読みやすかったです。終章の、環境問題について歴史的な教訓は得られない、地域によって環境も環境との係わり合い方も異なるから、というような結論も納得です。しかし、それ以上に、残りの文字数では紹介しきれない教訓も盛り込まれており、こちらも納得です。某暴走老人さんにも読んでいただきたいですね。2012/12/16

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