メカスの難民日記

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  • サイズ A5判/ページ数 395,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622076087
  • NDC分類 935
  • Cコード C0074

出版社内容情報

日本にファンの多い映画作家がナチ支配下のリトアニアを出国、ドイツの難民収容所を転々とし、ニューヨークに着く。1943-55。

内容説明

故国リトアニアがドイツの占領下にあった第二次大戦末期、反ナチ活動が発覚して著者はナチの強制労働収容所へ送られた。ドイツが敗北すると、故国はソ連領となる。著者は帰国を断念し、1949年末に米国に亡命するまで、弟アドルファスといっしょに、ドイツの難民収容所を転々とする。日記は、ドイツやソ連の横暴に絶望し、孤独と飢餓に耐えて、大量の読書、映画館通い、収容所仲間、労働、収容所新聞の発行、マインツ大学に聴講にいくことまで、破天荒ともいえる日常を具体的に記す。

目次

強制労働収容所
自由に向かって
難民収容所での生活
不安。七本のナイフが突き刺さりはじめる
遠く離れると、あなたはなんと美しいのだろう!
人生の旅はつづく
二つの世界の狭間で
ヨーロッパ最後の夏
ニューヨーク
ブルックリンで自活する
進退きわまって
マンハッタンで自活する
砂漠に根づく、あるいはイタケーに戻る

著者等紹介

メカス,ジョナス[メカス,ジョナス][Mekas,Jonas]
1922‐。リトアニア生まれのアメリカ人。詩人、映画作家。第二次大戦戦末期の1944年、ナチの追手から逃れて国外に出たが、そのままナチ・ドイツに拉致され、強制労働収容所へ送られる。翌年ドイツの降伏による終戦によって、そのまま難民となり、4年間ドイツを流浪後、1949年に米国に亡命、ニューユークで映画制作を始める。60年代には、『ヴィレッジ・ヴォイス』紙のコラムの執筆、季刊『フィルム・カルチャー』誌の発行をつうじて個人映画の評論活動をつづける。フィルムメーカーズ・コープを組織して作家を連帯させ、シネマテークを創って上映活動をし、個人映画のジャンルを確立

飯村昭子[イイムラアキコ]
早稲田大学仏文科卒業。在ニューヨーク。フリージャーナリスト。1982年より13年間、ニューヨークの日本語新聞『OCSニュース』編集長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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どんぐり

2
リトアニアからの難民としてアメリカに渡った映画作家で詩人メカスの1944年~1955年に書かれた日記。書名に魅かれて読み始めたが、最後まで読み終えるには忍耐が必要だった。2011/10/15

古本虫がさまよう

1
著者は1922年生まれのリトアニア人。戦時中はナチの強制収容所にいて、戦後はソ連占領下の母国に戻らずドイツの難民収容所を転々として、米国に亡命。肉体労働などをこなしながらの日々を過ごす。その時代(1944年~1955年。22歳から33歳まで)の日記をまとめたもの。 詩人としての自覚を持ち、食糧よりも本を抱えての収容所めぐりや、戦後の収容所時代でも大学の聴講に行ったりする。 戦争に翻弄され、「祖国」を失い、欧州、アメリカを放浪したメカスの青春時代の一端を知ることができる佳作だった。 2018/09/10

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ジョナス・メカスの1944-1955(22歳から33歳)の日記。ドイツ占領下のリトアニアでの反ナチ活動、強制収容所での暮らし、空襲、そこからようやく脱出しても待っているのは難民生活、なんとかニューヨークに流れ着くも様々な職を転々とする不安定な生活。「これらの断片を繋ぎ合わせた筋書きが、私の人生、生い立ちです。仇役ですか? 仇役は20世紀です。」しかし妙な幸福感も。「今日、よく眠って目が覚めた。そして突然、ここにこうして、なんということもなく、ミミズのように生きていることがとても幸せであるように思われた。」2017/05/29

どんぐり

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リトアニアからの難民としてアメリカに渡った映画作家で詩人メカスの1944年~1955年に書かれた日記。書名に魅かれて読み始めたが、最後まで読み終えるには忍耐が必要だった。 2011/10/15

弥太郎岩崎。

0
家出しながら外で読んでいた、ギプスの様だった 2012/01/07

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