生命倫理をみつめて―医療社会学者の半世紀

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  • サイズ B6判/ページ数 220p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622070177
  • NDC分類 490.15
  • Cコード C1036

出版社内容情報

この半世紀のあいだ、医療の世界では何が起こってきたのか。医療に従事する者にとって、最も大切なことは何か。医学教育はどうあるべきか。医療社会学の可能性とは?

本書は、アメリカ社会における医療のさまざまな領域、とくに医師の養成過程や実験医療・先端医療を中心に、参与観察者としてみつめつづけ、数多くのすぐれた業績を生んできた医療社会学の第一人者、レネー・C・フォックスの「自伝的回想」とも言うべき書である。

医療の「不確実性」について、臓器置換をめぐるジュディス・スウェイジーとの共同研究の実際について、生命倫理学(バイオエシックス)について… とりわけ、1970年代はじめに成立した生命倫理学という分野にたいしては、著者は積極的に関与しながらも、そこに社会科学的な思考が欠落していることを指摘し、アウトサイダー的な重要な位置から問題提起をつづけている。同時に、若い頃からのベルギーやアフリカ・コンゴでのフィールドワーク、また1990年代以降は「国境なき医師団」の活動に参与観察者として加わりながら、現在も医療の現場にたずさわっている。

本書は、2001年春に東京医科歯科大学の招きで著者が来日したときに行なったインタヴューが基本になっている。巻末に付した来日時の講演「医療専門職における人間の条件」ともども、本書は一人の女性の半生を描いた感動の書であるとともに、医師・看護師はじめ医療関係者や人文社会科学の多くの分野の人にとっても必読の書になるだろう。解説・市野川容孝「レネー・C・フォックスと医療社会学の系譜」

レネー・C・フォックス(Renee C. Fox)
1928年、ニューヨークに生れる。東部の名門女子大学スミス・カレッジに入学。ポリオにかかり、一時転校するが、復学、首席で卒業。ハーヴァード大学大学院社会関係学科に入学。タルコット・パーソンズの下で医療社会学への道を切り拓くことになる。同期にクリフォード・ギアーツ、ロバート・ベラーがいた。その後、コロンビア大学、バーナード・カレッジで12年間在職。いったん母校に戻った後、マーガレット・ミードの推挙もあって、1969年ペンシルヴァニア大学社会学科教授に迎えられる。また、同大学アンネンバーグ講座教授をへて、1998年、アンネンバーグ講座名誉教授となる。この間ヨーロッパで、ベルギー本国、旧ザイール植民地、今のコンゴ共和国に第二の拠点を求めることになる。1996年から97年に、オックスフォードに招かれる。現在は、ペンシルヴァニア大学生命倫理学(バイオエシックス)センターのフェローを兼ねている。目下は、「国境なき医師団」の活動に参与し、2002年には、南アフリカ共和国に出向いている。合衆国における医療社会学者の最初の一人である。参与観察者として、独自の境地を切り拓いた。主著に、『危険な実験』(1959、1974、1997)、『医療社会学』(1989)、『ベルギーの館にて』(1994)があり、ジュディス・スウェイジーとの共著『失敗を恐れない勇気』(1974、1978)、『スペア・パーツ』(1992)(邦訳『臓器交換社会』、青木書店、1999)がある。

中野真紀子(なかの・まきこ)
翻訳家。訳書にサイード『ペンと剣』(クレイン、1998)『遠い場所の記憶 自伝』(みすず書房、2001)『戦争とプロパガンダ 1・2』(1は共訳、みすず書房、2002)『イスラエル、イラク、アメリカ――戦争とプロパガンダ3』(みすず書房、2003)エリオット・レイトン『大量殺人者の誕生』(人文書院、1995)など。

内容説明

医療に従事する者にとって、最も大切なことは何か。医師の養成過程や臓器置換、生命倫理など、つねに参与観察者として現場にあった女性が語る医療社会の真実。

目次

第1章 社会学者への道
第2章 医療社会学者として―医療における不確実性
第3章 教師として、研究者として
第4章 臓器置換という分野
第5章 生命倫理学への関わり
第6章 国境なき世界へ
付 医療専門職における人間の条件

著者等紹介

フォックス,レネー・C.[フォックス,レネーC.][Fox,Ren´ee C.]
1928年、ニューヨークに生れる。東部の名門女子大学スミス・カレッジに入学。ポリオにかかり、一時転校するが、復学。首席で卒業。ハーヴァード大学大学院社会関係学科に入学。タルコット・パーソンズの下で医療社会学への道を切り拓くことになる。同期にクリフォード・ギアツ、ロバート・ベラーがいた。その後、コロンビア大学、バーナード・カレッジで12年間在職。いったん母校に戻った後、マーガレット・ミードの推挙もあって、1969年、ペンシルヴァニア大学社会学科教授に迎えられる。また、アンネンバーグ講座教授として、1998年、アンネンバーグ講座名誉教授となる。この間ヨーロッパで、ベルギー本国、アフリカの旧ザイール植民地、今のコンゴ共和国に第二の拠点を求めることになる。1996年から97年、オックスフォードに招かれる。現在は、ペンシルヴァニア大学生命倫理学(バイオエシックス)センターのフェローを兼ねている。目下は、「国境なき医師団」の活動に参加し、2002年には、南アフリカ共和国に出向いている。合衆国における医療社会学者の最初の一人である。参与観察者として、独自の境地を切り拓いた

中野真紀子[ナカノマキコ]
翻訳家
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